カテゴリー: 読書

  • パズルとミステリー 緊張とパニック

    パズルというのはデータが足りずに問題が解決できないこと。オサマ・ビンラディンの居場所とか。ミステリーというのはデータが溢れかえっていて問題が解決できないこと。エンロンの崩壊とか。公開された財務関係の資料を読めば、この企業の業績なんてまるでスカだということは分かったはずなのに、その公開されていた資料というのがあまりにも膨大で、内部で責任ある地位にいた人間すらほとんど理解できていなかったとのこと。

    パズルである問題を解決するためには資料の収集が重要であるが、ミステリーを解決するにはその方針ではよろしくないんだそうだ。それはまあ臨床でもそうだよなと思う。脈絡無く検査出しまくるのは臨床でも愚かな行為だ。ましてその結論が「時間をおいてこの検査を再度行わなければならない」というのではなおさら。

    緊張のあまり失敗するときには、熟練していて無意識にできることまでいちいち初心者のように意識に上らせてしまっている。パニックになっているときには些細な問題の一点に注意が集中してしまっていて、ほんとうなら意識するべきさまざまな問題に意識が回っていない。

    なるほど。

    そのほかもろもろ、重要な考察が随所にあり、賢い本だと思う。原書は1冊だったのかな。勝間先生が翻訳して3分冊で売り出した邦訳を図書館に予約しておいたら、2冊目が先に来たので読んだ。文庫化されたら買うかな。厚めの文庫本1冊に納まるんじゃないかと思うし。

  • 星を継ぐもの

    星を継ぐもの (創元SF文庫)

    星を継ぐもの (創元SF文庫)

    読み進むのが惜しいほどの名作。あまりに名作なので熱心に語ると冷笑されがちなのはベートーベンの交響曲第5番と同じ。でもどんなに笑われても「運命」は寸分の隙もなく構築された名作だし、「星を継ぐもの」もまた、「運命」よりは荒削りだけれども、やはり、よいものはよい。

    エアカーの機首に格納されたDECミニコンピュータはポートランド地域交通管制センターの地下のどこかに設置されているIBMの大型コンピュータを呼び出し、・・・

    という下りを呼んで、古典だなと思った。DECのミニコン、ねえ。

  • お願いする人される人

    IDATENのプロが答えるそこが知りたかった感染症

    IDATENのプロが答えるそこが知りたかった感染症

    非常勤で応援にきてくださった京大の先生が、外来に忘れて行かれたので、拝借して読了した。*1

    感染症は古来からの問題だけど現在でも重要な分野である。新生児をやってれば特にそうだし、重度心身障害医療に縁があればまたそうだし、この二つを逃げ出して小児科広く浅くになってもなお感染症はついてくる。これはもうお釈迦様の手の上を逃げられない孫悟空みたいなものだ。

    しかし本書を読んで、いろんな意味で「違うな」と思ったのだが、それは感染症科の皆様と、自分ら、まあ場末のNICUの新生児科なんだけど専業では食いかねて小児科一般外来と兼業してます*2という立場との、スタンスの違いによるものだろうか。

    感染症科の皆様の、困った主治医のヘルプコールに応じてさっそうと現れ快刀乱麻を断つがごとくに問題を解決して去っていくスタンス、古くは月光仮面ウルトラマン、近くは「ののちゃん」に呼ばれてやってくるワンマンマン*3のようなスタンス。あるいは感染症の診療がつたない主治医困ったその他おおぜいのヘルプコールがあったりなかったりしてやはりさっそうと現れ快刀乱麻を断つがごとくに問題を解決して去っていったり行かなかったりするスタンス。常駐がそれ以前と比べて状況を改善しているかどうかは世界各地に駐留する米軍にも似て多少複雑な問題である。けっきょくフセインを退治たことはイラクの人々を幸せにしたのだろうか。

    いずれにしても彼らは「お願いされて」現れ「支援する」形で問題に関与するヒーローである。それは本書の、「感染症のプロ」とかカリスマとかが教えるという、タイトルや構成にも現れている。お呼びがかかった先生はアマゾンどっと混むでも感染症関係にずらずらと名前の挙がるカリスマであり、本書には「カリスマ先生、みなさんはどうしてそんなに格好いいんですか?」という趣旨の個人的質問がたくさんついている。

    カリスマ、ってそりゃあエビデンスレベルとして「専門家委員会や権威者の意見」ていうやつだろうよと、君らはそれを推奨するのかい?と、小声でちょっと突っ込んでみたりもする。

    感染症科に注目が集まってるのは、感染症科の診療や研究レベルの高さとはまた別次元で、こういうカリスマ的な格好良さが、若い人や軽薄な人を誘蛾灯みたいに引きつけてるんじゃないかと、まあ狷介な邪推なんだろうけど、思ったりもする。

    新生児科にこういう格好良さはないなあと思う。新生児科は他科にコンサルトを出しこそすれ、出されることはまずない。新生児科の診療は全身管理抜きにはあり得ないので、新生児科が診る患者は全て新生児科が主治医の患者である。紹介された時点で患者の身柄と主たる責任は新生児科に移る。移してもらえなきゃ専門科としては着手すら困難である。自分たちに責任を移してもらって、その後は自分たちからあちこちに「お願いする」のが新生児科の基本スタンスである。

    その点において、新生児科は究極的なプライマリケア医の集団である。集中治療のできるプライマリケア*4。だからプライマリケアの泥臭さは宿命的に抜けることがない。ヒエラルキーとして他科に頭を下げても下げられることはない。

    従って、本書にあるような、他科の医師と合わないときはどうしたらいいんでしょうか、みたいな質問がなされ、最終責任は主治医にとらせればよろしいという答えがなされることは、新生児科には存在し得ない質疑応答だと思う。お願いする側の立場としては、先方にこの子を救う技量があると思えば、先方との相性など二の次である。というか人間性
    の悪い医師には患者も協力者も集まらず経験が積めないから医師として大成することもまず無いんで、人間性に優れた名医を各科そろえてネットワークを作ることは意外に簡単である。こっちの頭を下げて子どもが救えるなら頭なんぞいくらでも下げる。取るに足りない相手にははなから縁を作らない。医者の仲が険悪になるときと言うのは、つまらない理由であることもあるが、多くは相手の診療内容に信頼が置けないってことが最大の理由だから、わざわざそんな相手にものを頼む道理はない。

    新生児科には感染症科の華麗さはない。院内や業界内から感謝されることもあんまりない。もっぱら、この子のためにお願いしますと頭を下げる立場にある。我々に、この子のためにお願いしますと心から頭を下げてくださるのは親御さんだけだとも思う。まあ、それはそれでよいとも思う。

    *1:彼らよりは高いお給料を頂いてるんだから買って読めよというご批判はなしで願います。大学ではオンラインで各種医学雑誌がほぼ無制限に読み放題と知って以来、自分の給料が高いとはあんまり思えなくなってきました。

    *2:そのうち農林水産省から戸別所得補償が来るんじゃないかな

    *3:ライバル新聞社のトップに風貌などがよく似ている

    *4:開業後の成功率は新生児科医はかなり高いんだそうだ。

  • 断る力

    断る力 (文春新書)

    断る力 (文春新書)

    おもしろく読んだ。たしかに昔の自分には欠けている視点だと思った。でも昔の自分がこの視点で生きてたら人生を誤っただろうなとも思った。自分にしかできないことに集中するってのは、それは何かできる人間しか取りえない戦略であって、何もできない人間がそれをやったら何にもすることがありませんってことになる。自分探しのあげく、なにもできない中年になる。

    それってけっきょく今の俺とかわんないじゃないか・・・なら断る力があってもよかったかな。はは。

  • マルサスの罠

    マルサスの罠という概念を初めて読んだ。何とはなく、今の日本の医療もそうだなと思った。

    10万年の世界経済史 上

    10万年の世界経済史 上

    10万年の世界経済史 下

    10万年の世界経済史 下

  • オホーツク街道

    オホーツク街道 (街道をゆく)

    オホーツク街道 (街道をゆく)

    この人の書くものはどれもこれもどうしてこんなに面白いんだろうと思う。そんなに凝った文体や表現でもないし、題材もなんとはなく見聞きしたことを淡々と書かれているだけのように思えるのだが。

    こういう、筆力がすごくて強制的な説得力をもつレベルに至った人は、多少の創作をまじえても読者はそのまま信じ込んでしまうと思うので危険だ。その最たるものが坂本龍馬だと思うけど。

    本書で語られるのは北海道のオホーツク海沿岸の歴史である。とくにアイヌ以前、樺太から南下してきて宗谷から知床にかけてのオホーツク海沿岸に住み、主に漁労など採取生活をしていたウィルタ(オロッコ)の歴史が本書の中心となる。彼らが残した多くの遺跡について、それを発掘してきた人間的魅力にあふれる研究者達について。また大事なこととして、幕末から戦後にかけて日本とロシアの間で翻弄されたウィルタの現代史について。

    彼らの文化と続縄文文化が融合してアイヌの文化が形成されたとのこと。その時期は意外に新しく鎌倉時代あたりだとのことだった。アイヌの歴史は意外に新しいと本書では何回か語られるのだが、それはアイヌを軽視しようとして反復強調したのではなく、たんにもともと週刊誌の連載記事だったからというだけだろう。それはともかく、鎌倉時代というと12世紀から13世紀あたり、中世の温暖期がだんだん終わる頃だよなと思って興味深く読んだ。オホーツク海沿岸でのウィルタの文化の衰退と、たとえばグリーンランドのバイキング植民地の衰退とはほぼ同時期である。

  • 日本が破産しなくとも

    日本は破産しない!?騙されるな!「国債暴落で国家破産!」はトンデモ話だ!

    日本は破産しない!?騙されるな!「国債暴落で国家破産!」はトンデモ話だ!

    日本は変動相場制なんで、好きなだけお金を印刷すればいいんだから破産はしないのだそうだ。

    何とはなく、それはやってはいけないことのような気がする。素人なんで根拠は示せない。何とはなく、だ。禁じ手の臭いがする。触っただけでこっちに悪臭が移りそうな、実も蓋もないほどに下品な考え方のような気がする。

    あえて根拠を言うなら、お金ってそんな無根拠なものなのか?という疑問がある。そりゃあ金本位制でもなし固定相場でもなしと、言われりゃたしかにそうかもしれない。けれども、やっちゃいけないって誰も言わないからやっていいんだというのは、ときには因習を打破する考え方になるかもしれないが、多くは、お天道様の元では人としてそれはまずいだろうという、あえて言及するまでもないほどの下策であることが多いんじゃないかと思う。

    さらに言うなら、誰かの負債は誰かの資産だそうで、900億円国が借りてるってことはそれは誰か(大半が国内に居られるのでなお安心だとのこと)の900億円の資産になってるんだそうだが、国や日本銀行の操作でその借金を始末できるってことは、だ、国や日本銀行がその気になればその誰かさんの資産をチャラにすることも可能だってことなんだよな。好きなだけお金を刷るったって、それで何らかの価値が無から生じてるわけでなし、価値を生まない操作で借金が減るってことは、その借金を資産として抱えている立場からすれば、なんらの価値あるものを代替として受け取らないままに資産が溶け落ちていくっていうことじゃないだろうか。

    国や日本銀行がそこまでえげつないことをするかどうかだが、本書の著者は邪悪だ無能だ浅はかだとさんざん国(あるいは官僚)や日本銀行の悪口を言っていても、さすがにそこまではやらんだろうとの基本的な信頼感をお持ちらしい。なんかこう認識が甘くてあっさりしすぎなんじゃないかと思う。「彼ら」が著者が言うほど手前勝手で道徳観を欠いてたら、やるでしょ。それくらい。そもそもルールは彼らの手にあるわけだし。

    まあ専門外ではあるが私ごときの知識でも、お上がなりふり構わず自分の借金を始末した結果として下々が泣かされたことが歴史上すくなくとも2回あるはずと記憶しているのだが。

    その1度目は幕末から明治にかけて、各藩が藩内だけで通じる不換紙幣である「藩札」を大量に発行していたが、維新後にそれは紙くず同然となった。出稼ぎやなんかで苦労して蓄えた一生の貯金がさらっと紙くずになったという記載が「日本残酷物語」にもあった。

    あるいは各藩は大阪(当時は大坂)の豪商に借金していたが、維新に伴ってことごとく踏み倒した。そのために大坂の豪商の10件中9件まで潰れたんじゃなかったかな。今で言えばメガバンク一連も生保もみんなさらっとなぎ倒されるってことだな。

    2回目は米国との戦争で大量に発行した国債を、戦後のインフレでちゃらにしたもの。預金封鎖とか新円切り換えとかいろいろあったけど、とりあえず、戦費に使った国債の借金がどこかへ消えた。誰かの借金は誰かの資産だそうだから、そこで資産が消えた人がだいぶんあったんじゃないかな。

    それらはみな結果的にそうなっただけであって、意図的にそのような操作がなされたわけではないのかもしれない。しかし意図的にであれ結果的にであれ、国家というものはその気になれば国民を犠牲にしてでも生き延びることは可能なのだということは、どこかで記憶しておいた方がよい。国家は破産しない。だから何?その犠牲になって自分らが破産してもよいと?愛国心が強いのは結構なことだと感心はするけれど。

  • 消費税について

    消費増税で日本崩壊 (ベスト新書)

    消費増税で日本崩壊 (ベスト新書)

    著者によれば消費税は企業間の取引で弱い立場にあるほうが不公正に負担させられ、輸出企業は益税で潤い、正社員の派遣社員化を促進し、滞納率も飛び抜けて高い、とのことで悪税なのだという。

    何か論理の飛躍がありそうな気がする。

    大企業が中小企業の生き血を吸うような不正な取引慣行があるのは、それはそれでそれ自体の問題なのではなかろうか。現状で消費税の税率を上げたら上げた分を中小企業がさらに負担することになると筆者は主張するが、それは消費税の仕組みに内在する避け得ない事項なのだろうか。消費税をとりやめたら大企業は悔い改めて中小企業と真っ当な取引をするようになるのだろうか。

    運用での課題なのではないだろうか。派遣社員化の促進する結果になっていることも、滞納率が高いことも、それはすべて運用の問題ではなかろうか。

    輸出企業の益税については、なるほどと思うのだが。大企業が消費税増税を歓迎するわけですな。益税が問題であるというのは私も賛成だ。本書でなるほどその通りと思ったのはそれだけ。

    各論のレベルで著者があげるいろいろな例も、どうかと思うところが多い。税収に占める消費税の割合がスウェーデンも日本もほぼ同じといわれても、それは日本の消費税が高いからじゃなくてスウェーデン所得税が高いからでしょうよと思う。著者は消費税が中小企業を潰しにかかる税だといって憤っているが、スウェーデンこそ、政策的に中小企業保護なんてまるでしていない国なのに、そのスウェーデンを正しい例として準拠するのは矛盾していると思う。高福祉で失業者の面倒は見るから商売が立ちゆかなくなったら安心してつぶれてくださいね、というのがスウェーデン政府の企業に対するスタンスではなかったか。著者もご存じないわけではなかろうに。

    また、アメリカには国税としての消費税がない。と著者は言うが、それは連邦じゃなくて州のレベルで徴税してるんではないだろうか。私がアメリカからPEDIATRICSとか医学雑誌を買うときにはウエブサイトで税がどうこうと言われるけどね。

    なにより、著者の主張であれあれと思うのが、日本の財政難に関する認識である。お定まりの、累積赤字は900兆円で個人資産が1400兆円だから500兆円くらい景気対策に使っていいんだという、あれ。そりゃあ今年限りで財政の収支が黒字になってりゃいいんだろうけどね。これからも赤字はどんどん積み上がっていくでしょうよ。そしていつかは国債が売れ残る日が来るように思うのですが。緻密に消費税の問題点を指摘しつつ、その点をまるっと無視してるのがアンバランスだと思う。だいいち、個人資産を1400兆円全部国債に突っ込んだら、それこそ、著者が重視する中小企業に融資するお金がなくなるんじゃないだろうか。

  • この著者の言うことならまずは聞いてみようと思った

    2020年、日本が破綻する日 (日経プレミアシリーズ)

    2020年、日本が破綻する日 (日経プレミアシリーズ)

    1冊1000円もしない本にてんこもりに専門的な概念が詰め込まれていている。しかし決して衒学的ではなく、読んでいると著者がまっすぐ私の顔をみて語っているような気になる。言う内容は難しいがこの人の言うことならとりあえず耳を傾ける価値があると思った。

    著者は1974年生まれで、だいたい私の弟妹世代なのだが、そういう若い世代なら、財政難や世代間格差の不利益を自ら被る立場にある。いい加減なことを言っては専門家としての信用を失うばかりか、生活者としても身銭を切って責任をとる羽目になる。そういう当事者感も感じられるように思った。

    それにしても内容はやはり難解なのだが。まあ、財政再建やら経済立て直しやら世代間格差の是正やら、そう簡単なお話でもないだろう。適切な難解さだと思う。難しい問題は、せめて難しい問題なのだというコンセンサスだけは得ておかないと、どんどんポピュリズムに堕していく。

  • 鯨肉って好きですか?

    捕鯨問題の歴史社会学―近現代日本におけるクジラと人間

    捕鯨問題の歴史社会学―近現代日本におけるクジラと人間

    本書によれば

    • 江戸時代までの日本の伝統的な捕鯨と、明治期以降のノルウェー式を導入して以降の捕鯨はまったく別物。伝統的捕鯨をやってた面々が移行したというわけでもなくて、まったく別系統の捕鯨である。
    • この新しく始められた捕鯨には漁民からの反対運動もあり、なかには焼き討ちにまで発展した事例もあった。鯨の解体処理で発生する多量の血液などが海に垂れ流され海産物にダメージを与えるという点に加え、もとより鯨をエビスとして信仰の対象にしていた土地もあったため。
    • 明治期以降、第二次大戦前後までの日本の捕鯨も、主目的は輸出用の鯨油の採取であった。鯨肉は副産物であって、その消費は日本の伝統というより捕鯨会社による啓蒙によって明治期以降に広まった(とはいっても西日本に限定的にだが)ものである。
    • 大戦中の畜産の壊滅により鯨肉も一時的には消費が増えたが、やがて畜産の回復により鯨肉は歓迎されなくなり、安価に学校給食に回されるものとなった。

    そのほか色々。いったい捕鯨が日本の伝統文化ってのはどこから出た話なんだろう。今まで常識と思ってたんだが。裏付けのないことを信じ込んでただけか?

    子どもの頃は鯨肉もたまに実家の食卓にのったが、噛み切りにくく飲み込みにくく、あんまり楽しみにする食材でもなかった。ちなみに実家は長崎県なので江戸時代から捕鯨が盛んな地方ではあるのだけれど。

    でも鯨油しかとらない欧米の捕鯨と比べて、日本人は肉なども残さずありがたく頂くから善いのだとも聞いていたのだが、本書によれば、日本も遅れて参加したってだけで、鯨油主体の捕鯨に違いはなかったようだ。食べることで生命を頂くのに鯨も鶏も牛も変わらないという見方もあるようだが、それを言うなら四つ足の肉を全般に食べなかったのが日本の伝統なんだよな。

    資源量も減少しているし、鯨油の需要も少なくなったしで、欧米各国が斜陽産業に見切りを付けてさっさと手を引く中で、日本だけがずるずると手を引き損ねたというのが真相なのではないかと、本書を読んで思った。むろん戦後の食糧供給が危機的だった頃には鯨肉の供給も意義あることだったろうし、その時代に頂いた鯨肉には感謝しなければならないと思う。そのぶん撤退時期が遅くなるのはやむを得なかったかも知れない。でも、その後の捕鯨は、もう採算の取れなくなった産業を無理筋で温存しているだけなのではないか。中央官庁のその担当部署のメンツや存続も賭かってる、という臭いがぷんぷんする。

    しかし捕鯨をやめようとも、さらっとは言いかねる。鯨が賢い動物だから捕鯨をしてはいけないというのはむかつく主張だ。そんな主観的で反証不可能な主張をされても、同意か不同意かではなくて屈服か反抗かの選択しかありえない。そんな主張さえなければ、もう採算も合わんし需要もないし南氷洋捕鯨はもともと日本の伝統文化ってわけでもないしというので、円満な撤退の筋道もあろうにと思う。今の構図では、屈辱を伴わない撤退があり得ないことになっている。

    まあ何様、シーシェパードの乱暴な諸君に勝ちどきをあげさせるくらいなら好きでもない鯨肉も食ったろうじゃないかとさえ思う。