• それじゃ今回のプロジェクトから降りるのかというと

    人が変わる、組織が変わる! 日産式「改善」という戦略 (講談社+α新書)

    人が変わる、組織が変わる! 日産式「改善」という戦略 (講談社+α新書)

     この改善という考え方そのものはまあよろしいと思うんだ。200年300年たって、日産というメーカーが潰れるなり発展解消するなりして後ろ盾がなくなっても*1古典としてこの考え方自体が残ってるかどうかは怪しいけれども。多分に15世紀ヨーロッパの”mement mori”とか、16世紀末日本の「わび」「さび」みたいな、当時の社会的背景を前提とした考え方として、20世紀末から21世紀初頭の日本に「改善」という概念がありましたってことになるんだろうけれど。「おたく」とか「萌え」とかと並列で。

     でも日産という背景があると、その背景の影響を直接受ける人には、この考え方は生臭いだろうなとも思う。「限りないお客様との同期」って親会社に言われた子会社はどうすればいいんだ。おたがい、お客様っていったら自動車の購入者ってのが建前だろうけれど、本音のところ、子会社にとってのお客様ってのは親会社だろうに。その暗黙の了解の元で「限りないお客様との同期」っていうご指導が親会社のコンサル部局から入ってきたらだ、子会社の経営陣としては、親会社として君ら子会社に際限なく要求するよって宣言されたに等しいんじゃないかと思うが。ゴーンの辞書に満足という言葉はないってなもんで。

     まあ俺らNICUには日産の親会社がどうあろうと子会社ほどには影響を受けない。それどころかいまうちの病院で使ってる救急車は日産の製品なので、俺らのほうがお客様だ。日産の支配からはわりと自由な立場にある。ありがたく本書など拝読して、改善の参考とさせていただけば良い。*2

     参考にするにも知恵は要るだろうと思う。引き写しではまずい。ラインの上手からまずいものが流れてきたらラインを止めます、って、クルマの工場ならそれもいいが、NICUなんてそもそも問題がある赤ちゃんしか引き受けないわけで。

     そこに何らかの改善式検討を加えるとしたら、その赤ちゃんの抱えた問題が想定の範囲内でなければならない。所定の類型におさまってくれてないといけない。

     なんだかずいぶん粗雑な話のようにも思える。診療ってのはもうちょっと個別化されたものではないのか。とは言いながら、現状の診療だって、いわゆる臨床経験の実際のところは、いかに手元のその「類型」を細やかに準備してるかってことに過ぎないんじゃないかとも思える。このさいその類型の手の内を公開してみようというのも、試みられていいことではある。自分自身にすら明瞭ではなかったりするし。

     本当にそのこだわった類型は、区別するだけの効能があるのか?とか考えてみるのもまた良いことではある。別に治療方針に違いがあるわけでなしと言えるような些細な違いでしかないこともあろう。

     しかしながら、そういう違いもまた、いずれ新たな病態生理の切り口とか治療法とか見つかってきたら、大きな違いになるかもしれない。そう思うと、実用上の差を生まない違いを無視してしまうのは、将来の進歩の芽を摘むことになるのかもしれない。

    *1:伊那谷の「かんてんぱぱ」は残るだろうと思ってるけど

    *2:むろん我々とて理念的なお客様と事実上のお客様とが乖離しているという構造的問題は抱えているけれども。我々の事実上のお客様は医療保険の保険者であり支払基金なんだから。

  • 日産式の改善

    日産式改善戦略をみんなで学ぶ – がんばれ!!小さき生命(いのち)たちよ – Yahoo!ブログ

     この講演も拝聴した。

     なんだかなあ、とこう言うものを素直に受け止めきれず、斜に構えてしまう狭量さが、引用元の記事をお書きの先生と私との格差となっているのだろうと思えた。年齢はほとんど同じはずなんだがね。どこで道を間違えたものやら。

     はじめて日産がいまどういうやりかたで自動車をつくっているのか知ったのだが、すべてのことが定刻通りにうまくいく(全てですよ)ことが前提での生産方式だった。うまくいってれば実に良いやりかたなのだが、トラブルひとつでとたんに最低になる。こりゃあありふれた直下型一発で簡単に止まるわと思った。東北関東大震災を待つまでもない。

     緩衝とか冗長性とかどうやって確保するんだろう。

     このやり方の陰で、ずいぶん多くの下請け孫請けが泣いてるんだろうな。想像に過ぎないだろうか。システムの冗長性は下請け孫請けにしわ寄せされてるんじゃないかと思えた。壊れるときにはそこが壊れることになっているポイントを親から引き受けさせられる下請け孫請けの立場って辛いよなとか、まあ、なんかこう、場末から中央の日の当たる場所を見る視線特有のひねくれ方で拝聴していた次第だった。

     

  • それでけっきょく東京へはなにをしに行っていたのかというと

    NICUデータベース会議の報告 – がんばれ!!小さき生命(いのち)たちよ – Yahoo!ブログ

    東京に行ったのは地勢の評価じゃなくて、この会と翌日の説明会に参加するためであった。それ書いとかないと。

    この研究にはけっこう期待している。改善の主体があくまで参加施設側にあるのがよい。君のところは傍目にはこう見えているよというプロファイルなどは研究本部から提示されるらしいが、それをうけて自分がどう変わるかは参加施設側の問題とされる。

    「金があったらこういうことができる」「人がいたらこういうことができる」と金や人がない施設が無い物ねだりをして嘆息する研究じゃなくて、金がない人が足りない俺たちのような施設が、金がない人が足りない現状の中でそれでもどう足掻いて上を目指すのかという研究だ。発想が潔くて小気味よい。金も人もない俺たちもここは一肌脱ごうじゃないかと思った*1

    こっちの主体性がまず求められる研究に参加表明しておいて、まだ実際に参加できるかも、参加できたとして介入施設と対照施設のどっちに割り付けられるかも、わからんうちから本部に要望ってのもどうかとは思うが、要望として、できるだけオープンソースであってほしいと願っている。

    NICUレベルでの「カイゼン」運動は初めてだが、病院全体の規模でなら、「カイゼン」を指導すると称する狐猿は当院にも何回もやってきた。奴らはみんな手の内を明かさなかった。それは商売としては当然なんだろうけれども、でも凡庸だ。お仕着せの知識は講演が終わった隅から忘れられていったし、奴らに払った銭が生きた銭の使い道だったとはとうてい思えなかった。

    この研究では介入施設も本部も、どのような現状にどのような介入が行われているか、可能な限りオープンにして欲しいと思う。うちが介入施設に選ばれたらそうするつもりだ。ここに書くとは限らないけれども*2。その内容が対照施設にも知れて、対照施設でも同じようなカイゼンをやってしまったら、研究全体の結果に有意差が出ないんじゃないかとか、そういうみみっちい発想はなしで願いたいと思う。対照施設も死にものぐるいでカイゼンを目指す。その自己流のカイゼンに比べて、それでも介入のあった施設のほうが極低出生体重児の予後が良くなるんだと、示せてはじめて介入の成果と言えるんじゃないだろうか。

    *1:というかまあ、こういう理屈は後付けなんで、実のところはこの研究についてのあらましを業界内のメーリングリストでちょろっと読んで参加を即決したんだが。決めた後で詳細を検討した。なんかそういう事ばっかりして私は今の位置にいるんで、自分のそういう嗅覚は大事にしている。確かに場末のNICUではあるけれど、私の若さで「自分のNICUを持ってる」新生児科医が日本に何人いるだろうとも、密かに思っている。

    *2:読者諸賢にはたいへん申し訳ないが、カイゼンの経過報告ってのは現状を晒さねばならず、恥をさらすにも晒せる範囲ってものがあるので。でも、ここに書けないということへの問題意識は持ち続けたいと思う。

  • PRO3初乗り

    このまえつけたPRO3の初乗り。今日は午後OFFだったので、大原に行こうか雲ヶ畑方面から持越峠かとわくわくしていたのだが、管理職ならではのお仕事でけっきょく定時帰り。自宅で3本ローラーであった。通勤ラッシュの夕暮れ時の街中でロードに乗るほどの技量は持ち合わせないので。

    ミシュラン社も、自社の最高級品を、わざわざ日本くんだりまで売りに来てみたら、いきなりローラー台かよと、たしょう涙目かもしれない。

    しかし振動が消えたのは見事なものだ。まるでホイールやローラーが回っている気がしない。回っているのはチェーンリングだけのような気がした。ホイールが回っている証拠は速度計の数字と自転車が直立していることだけ。ハンドルを突き上げる振動がきれいに消えたんで、これならバーテープにも手袋にもクッション性なんて要らないねと思えた。

    音も静かになった。stradius eleteを履いていた頃に立っていた騒音のうち、低音域の成分がかなり静かになった。高音で連続するコーッという音だけになったが、これはおそらくローラーのベアリングが高速回転で出す音なんだろう。

  • 結局のところ、ランスは復活するべきだったのだろうか

    ツール・ド・ランス

    ツール・ド・ランス

    ランス・アームストロングの2度目の復活の顛末である。著者はランスやブリュイネールの旧知のジャーナリストとのこと。著者自身は2度目の復活について(一度目の復活の価値を問うものはないだろう)意見を述べるのを慎重に避けている。ランスの復活から、あの2009年のツール終了までに、彼がランスやブリュイネールのごく身近にあって見聞したことを、淡々と事実に即して述べるという体裁である。

    私がツールの中継を見始めたのが2009年からなので、ちょうど本書に書かれた時期のことになる。はじめてランスの走りを見て、すごい選手だと思った。しかしこの夏、Jスポーツが再放送した、かつてのランスの7連覇中の走りを見てしまった。その姿はまさに「ランス」と呼ぶしかない、他のどのような言葉をもって表現してもその範疇を超え出てしまうものであった。その姿を見てしまうと、記憶の中の2009年のランスがずいぶん貧相なものと感じられてならなかった。7連覇中との違いは、強弱の問題とすら言えなかった。それは真贋の問題であった。

    本書を読み、Jスポーツの再放送を観た今となっては、ランスは2度目の復活はするべきではなかったと思う。晩節を汚してしまった感がある。むろん2009年のツールでは総合3位だったのだから、2度目の復活後のランスもすごい選手ではある。しかしツール総合3位は他の選手には業績であっても、「ランス」が誇るべき成績であるとはどうしても思えない。他人の人生を美醜で評価するのは間違ったことだと、頭では分かっているつもりなのだが。

  • タイヤ交換、パンク修理

    先日VIGOREから買ってきたPRO3をいよいよつけてみようと思って、ロードバイクを触ってみたら、前輪がパンクしていた。先だって乗ったときには無事に家までたどり着いたのだけれども、それからの数日で圧が抜けたらしい。

    パンク修理もかと覚悟して車輪を外す。今までつけていたstradius eleteを取り外して、PRO3を取り付けてみる。固くて取り付けにくいという噂も聞いてはいたのだが、なんのこともなく容易に済んだ。滑り止め付きの軍手をしていたのがよかったのかもしれない。

    問題のチューブを点検したが、どこに穴があいてるのかよく分からない。娘が横で見ていて、水につけてみたらと言う。風呂の残り湯につけてみたら、細かな気泡がたつ場所がみつかった。その場所をいくら見ても穴があいているとはわからなかったけど、気泡がたつってことはピンホールがあいているのだろう。だいたいの見当をつけてパッチを貼っておいた。

    今までパンクの修理をしたことはあるのだが、自宅で点検時に見つけての修理ばかりで、出先で修理した経験がない。幸運なのかどうか。たとえば携帯型のポンプはGISALLOのを持ち歩いていたが、今まで使った経験がなかった。今日使ってみて、口金の設定が仏式バルブに合わないということが判明した。部品の向きを変えたら使えたのだが、これが出先だったらパニックしただろうなと思った。

  • 当直明け 暑くて地方会ゆけず

    当直明けの朝に院外からの新生児入院が1件、院内での緊急帝王切開がもう1件。多少ばたばたした休日の朝だったが、無事に明けて帰宅した。

    小児科学会の地方会があって、うちからも演題が出ているので、行かなきゃならないなと思いつつ昼寝をしていた。蒸し暑いのとだるいのとで起き上がるにも辛かった。結局、せっかく起きたのに自転車の鍵が見つからず、何とはなくスルーしてしまった。若手には申し訳ないことをした。広節裂頭条虫の駆虫のお話なんて、会場からそんなおかしな突っ込み質問はなされないはずではあるのだが。

  • 震災復興支援の新生児蘇生法講習会は一段落

    震災復興支援の新生児蘇生法講習会と称して、一次コースと専門コースを月1回ずつ開催して半年になる。これまで170人あまりに受講して頂き、受講料の総額が120万円を超えた。全額を義援金に出している。たぶん今月末で義援金は140万円になるはず。

    日本周産期新生児医学会から、新品の講習会キットを3セット無料で貸してもらっていた。普通に頼めば1回3万5千円のキットである。それを1回の講習会に2キット使った。講習会はつごう12回になるから、あわせて84万円を只にしてもらったことになる。なんのことはない、120万円あまりの義援金のうち84万円は学会から出たことになる。なんだか俺一人頑張ってたような気分になってたけど、銭勘定をしてみると謙虚にならざるを得ないなと思った。

    謙虚と言えばだ、うちみたいなマンパワー不足の病院で、毎月4回か5回かの土曜の午後のうち2回、私はこの講習会に専念していたわけだが、そのあいだの病棟業務を黙って負担してくれた同僚があり、講習会の補助に休日を返上してくれた若手がある。病院の事務からも、受講者から集金したり銀行に振り込んだりといったお金に関わる業務や、会場設営や、その他もろもろを負担してくださった方がある。多くの人にお世話になった。*1

    今度、学会が自前の講習会(インストラクター養成用の特別なもの)を充実させるとのことで、そのキットをいよいよ返却することになった。大事に使ったつもりではあるが、それでも元は新品だったキットがかなり傷んだことは否定できない。返ってきたものを開封したらうんざりされるだろうなと思う。賠償しろと言われたらかなわんなとも思う。いくらかでも今回の受講料を懐に入れてたんならそのうちから賠償もあろうかと思うが*2、全額被災地に行ってるんだからということで勘弁して頂きたいなとも思う。この期に及んで往生際が悪いだろうか。

    今後は自前の機材で講習会を行うとなると、2ブースぶんの機材の調達はきついなと思う。当面は規模を縮小せざるを得ない。とはいえ、ここで講習会を止めてしまっては半端だなと思う。まだ復興なんて手もついてないのに復興支援と銘打った活動のほうを先に止められたりしたら現地もがっかりだろう。私自身、阪神・淡路大震災被災したときは、2月に神戸から京都に出たとき、地震を過去形で語る人に出会ってずいぶん驚いたものだった。

    *1:身内のことではあるが、腹が減っては集中力が落ちるし不機嫌になるし、それで未熟な講習会のあらが目立ってもかなわないので、毎回、妻や娘にドーナツを受講生とインストラクターのぶん差し入れさせた。彼女たちにも感謝。

    *2:私の懐に入ったのはプライスレスな経験を別にすればミスタードーナツのポイントくらいだよ。

  • 地下鉄で

    東京は行くたびに狭くなっていくような気がする。東京駅で地下鉄に潜り、新宿で上がる。新宿から渋谷、渋谷から品川。何処で上がっても同じような眺め。地形のなかに自分をマッピングできない。なんとはなく土地と切り離されたような。

    自分が地理的に移動していると保証してくれるのは、地下鉄のなかで感じる加速度だけ。窓の風景が変わらない地下鉄でしか、移動しているという実感ができない。おかしな町だと思う。

  • 東京に出張

    出張でいま新宿にいる。東京駅はいつ見ても小さい。札幌の時計台もたいがいだけど東京駅もよい勝負だと思う。新幹線を降りて、八重洲口から丸の内口ってんですか、うええ駅を突っ切って歩かされるのかよと、京都駅の烏丸口から八条口まで歩かされる感覚でうんざりしたのだけれども、歩いてみると拍子抜けするくらいあっという間で、この駅が本当に本邦の首都の中央駅なのかと、ちょっと疑問になったりもした。まあ、この駅があんまり小さかったからこそ、上野がおいらの心の駅だったりする人々も出てきたんだろうけれども。

    地下鉄に乗りながら、いつ来ても東京は仮普請だなと思う。これで完成しましたという思い切りが感じられない。今のところはとりあえずここまでという思想が、東京のデザインに通底している。であればこそ発展が続くのかもしれないけれども、向こう1000年くらいこのままで行きます!という腰の据わり方を見せてもいいんじゃないかとも思う。