J.P.ホーガン氏死去

月の裏側で人間の死体発見─赤い宇宙服に「イチバァン!」の文字 : bogusnews

亡くなったことをbogusnews経由で知った。記事を読むとbogusnews編集主幹のリスペクトが伝わってきた。まだ69歳だったというのに軽く驚いた。

『星を継ぐもの』に続く3部作を読んだのは高校のときだったか中学の時だったか。学校の図書館にあったというのは憶えているのだが、どっちだったか判然としない。4作目は読んでないな。この機会に読むかな。早川書房も増刷かけるだろうし。

学会3日目、最終日

学会は最終日。今日もまず大学へ寄ってからJRで神戸へ行く。

今日は生命倫理に関して集中的に見てきた。会頭の意向もそのへんにあるらしくて、今日はいちにち倫理の日ともいうべきプログラムだった。ことに、Steven R Leuthnerという人の “Fetal Palliative Care”という講演が秀逸だった。米国の人の優れたところは観念にではなく実務に現れるのだなと思った。自分たちは何に気をつけてどういうケアをしている、と淡々と述べていくだけだし、その根拠もいささか泥臭いほどのプラグマティズムだと見受けられたが、それでも彼ほど深くなるとその深さが質に転化しているような気がする。この人の文献をいくつか読んでみないといけない。

松田一郎先生の「日本の文化、価値観を元にした生命倫理を考える」がその次に続いたが、さて日本の文化や価値観とはなんぞやというところで、さいきん宮本常一先生やなんかの民俗学や歴史の本をいろいろ読んで、ひょっとして医者がイメージする日本の文化や価値観ってひどく一面的でないかとも思ったりしていたところだった。他国からの侵略を受けたことのない和の国、ねえ。たとえばさ、いったい戦国時代の戦争ってのは戦国武将が世直しをしたくて戦ってたとでもお思いで?

日本人って、生命倫理みたいなことでも、原則が上から降ってくるってのじゃあなくて、一件一件の事例から湧き上がるようにボトムアップでいつのまにか横並びになってるってのが伝統的なあり方じゃあないかとも思った。大きな物語じゃあ日本人は救えないし、「倫理」とか原則とか言った時点ですでにそれは日本的な概念じゃないんだ。などと、宮本常一先生の「忘れられた日本人」を読んで、昔の日本人ってこんなに物事を話しあう習慣を持っていたんだと驚いたりしたことも思い出して、会場で考えていた。

午後は18トリソミーの子らに対する医療的介入の倫理をあつかったポスター討論やらワークショップやら見てきた。こういう倫理の話になると「話しあうことが大事ですね」という、しごく当たり障りの無い、朝日新聞の社説みたいな結論になるんだけど、そしてそれは日本人の倫理の出来上がり方が帰納的・ボトムアップ的なものだと考えればまあ当然の落ちなんだけれども、それはどうなんだろう、そんな結論を出しにわざわざNICUを出てみなさん神戸まで来たのか?そんな土産話で留守番役は満足するのか?神戸牛をキログラム単位で土産に買わんと角が立つんじゃないか?

こういう温い結論とか吹っ飛ばすような画期的な、従来とは一線を画すような高レベルの倫理が語られないものかなとも思う。RDSに対するサーファクテンのような、PPHNにたいするNOのような、従来の小賢しいちまちました苦労が跡形もなく吹っ飛ぶような異次元のものが登場しないかなと。でも生命倫理ではそんなのが出てきても信用しない方がいいかもなとも思う。ふと気がつくと虐殺収容所に送り込む子を選別しているようなはめになりかねない。

演題が多いけどだれか全部見ましたか?

学会は演題が多い。小児科と産科と小児外科と集まってくる学会だから多いのはあたりまえだが、それに輪をかけて、学会の専門医をとるのに学会発表が必要だからという点数稼ぎもあるんだろうと思う。ええ、もちろん私もそのひとりですよ。それが何か?

大賑わいなのはいいんだけど、あんまり分量が多すぎて、ポスターももう3日じゃあ見て回れませんね。そもそも紙に印刷してひとつの会場に集めて貼る意味がどれほどあるんですかね。学会のウェブサイトに1演題1ページ与えて、コメントとトラックバックのシステムをつけておけばいいんじゃないかと。質疑応答はコメント欄で行って、引用はトラックバックで行って、ってのはどうでしょう。学会員は一定数のページを閲覧したら研修単位がもらえるとか、一定数のはてなスターを集めたら発表の格が上がるとか。

ひとつの会場に集めて貼る意味があるとしたら、今日の私のように思いがけずそれまで興味の薄かった分野に行き当たる可能性を確保すること、またそれまで話したこともなかった人と話せること、そういう縁をつなぐ役割なんだろうけれども。それは確かにある。

一方で、学会に来られない人ってのも居るのが私等の分野の宿命ではある。NICUは誰か留守番がいないとね。今回はじめて私らはひとつの施設から二つの演題を同時に出して二人で参加することができた。マンパワーがようやく充実してきたからだ。全国の津々浦々で、かつての私のように学会に出るにも出られず身を粉にしておられる先生方が、そのために不利を被ることはあってはならないと思う。そういう先生方が地理的時間的な制約を超えて参加できるようなシステムを、構築できないものだろうかと思う。

どこでもドアが発明されるまでは、まだ時間がかかりますぜ。

学会二日目

学会二日目。まず大学へ寄って、少ない仕事量をぼちぼち片付けて、ハイリスク分娩の立会に行っていたチームがNICUへ引き上げてきたのを見計らって神戸へ移動する。

関東の先生と赤ちゃんの転院について相談しなければならなくて、その先生が座長をつとめるセッションの終わりを待っていた。ただ待つのも芸がないしと、ふだん聞かない分野のセッションを聞いた。意外に面白かった。牛に引かれて善光寺参りってやつかと思った。

あちこちの先生方にお世話になりつけた立場で考えてみるに、また今日もつくづく感じ入ったのだが、同じ内容の依頼を引き受けるにしても、気前よく引き受けていただくのと、しぶしぶ引き受けていただくのとでは、正直ありがたみが違うなと思った。いや、人にものを頼んでおいてそういう言い草はなんだとおっしゃられたら、そのとおりでございますと申し上げるしかないし、返す言葉もございませんのでありがたくスルーさせていただきますけどね。でも、そうじゃないですか。どっちがありがたいって、むろん、気前よく引き受けていただくほうですなと、私は思うのですが。今後、自院にもどって、母体搬送やら新生児搬送やらあれやこれや引き受ける時も、渋々引き受けるくらいなら気前よく引き受けよう、そのほうが自他共に気持ちいいんじゃないか、と思いましたね。

「自転車番組見ませんか」

夜、息子に「自転車番組見ませんか」と聞かれる。「見る。」と答えると彼は嫌な顔をする。「見ません」と言って欲しいのである。彼は「サルゲッチュ・ミリオンモンキーズ」がやりたいのである。

「見ませんか」という表現は見るようにすすめる時の言いかたであると、やはり教えるべきなのだろうかと思う。

学会初日

神戸での日本周産期新生児学会初日。自分の発表はポスターを貼っておしまい。蒸し暑いだろうし口演はないしでTシャツ1枚にメッセンジャーバッグを担いでいったら会場は寒かった。いいかげん白髪が目立ってきた頭でその格好はないだろうと自分でもちょっとは思ったが、年をとって夏でも背広を着てネクタイを締める分別がつく代わりに、いいじゃねえか暑いんだからもうと平気で薄着をする厚顔さが身についてしまった。

大江健三郎先生と竹田津実先生の講演を聞いて帰ってきた。大江先生はさいきん息子さんと諍いしたことを小説に書かれたが、さきごろ亡くなった井上ひさし先生が見本の段階でそれを読んで、大江先生を諌めるメッセージを残して亡くなられたとのこと。しょげておられるような印象を受けたが、もともとそのような話し方をなさる人なのだろうか。ただそのメッセージを紹介されても、それが大江先生の受け取ったような意味に取れるものなのかどうか、私など読解力のおよばない人間にはそれはよくわからなかった。

竹田津先生の口演は以前重度心身障害学会でお伺いして、今回2回目。家族総出で野生動物のお世話をなさっておられた様子が写真で紹介された。ご子息たちは小児科医になっておられる由だが、産科病棟の「新生児室」に赤ちゃんをお母さんと分けておく管理方針が、多くの野生動物の親子関係を見てこられた先生の目はひどく不合理なものだとのことで、ご子息と論争をなさった由である。いやもう論争するまでもなく、私は父上に賛成なんだけれどもね。

神戸なので日帰り。名古屋では泊まったが。帰りの新快速が敦賀行きだった。交流直流の切り替えの問題は解決したのだったかな。

たぶん大江先生が言及された小説はこれだと思う。

水死 (100周年書き下ろし)

水死 (100周年書き下ろし)

メッセンジャーバッグといってもいい年なんだから良いのを担いでいきました。
[asin:B003913KTA:detail]明日以降の会場で見かけられたら声かけてください。

連夜

サイクリングニュース : CYCLINGTIME.com

二晩つづけて、私は自院のNICUで過ごし、カヴェンディッシュ君はツール・ド・フランスでステージ優勝した。

私はカヴェンディッシュ君が好きだ。いかにもマン島の田舎者然とした風貌が好きだ。勝負に貪欲に拘るかと思えば、顔を上気させてランス・アームストロングと夢中になってしゃべっている純朴さも好きだ。サイクルロードレースの中継でもなければ、「世界の車窓から」みたいな鉄道番組で英国の田舎のパブでビールでも飲んでいるのがお似合いな風貌。

何より好きなのは、彼がステージの最後に爆発的なスプリントで勝利を得たあと、続けて入ってくるアシストたちを待って一人一人抱きしめて感謝する後ろ姿だ。

彼はアシストにすら勝利を譲らない。昨年のツールで彼は6勝した。21ステージのうち6ステージで優勝してるんだから、そんなに欲張らなくてもいいだろうとさえ私は思う。とくに最終ステージ、シャンゼリゼでのスプリントは圧勝だった。最後のアシスト、レンショーさんだったかヒンカピーさんだったか、どちらかがそのまま走り抜いても、チームコロンビアハイロードは勝利を得ていたはずだった。しかしカヴェンディッシュ君はそれでも最後にスプリントした。そして自分で勝った。

貪欲に勝利にこだわり、一見冷酷にアシストに自己犠牲を求めて勝利を手中にする、しかしその犠牲に対する感謝は忘れない。いい奴じゃないかと思う。

成熟するまでに長くかかる人はいるけれど

仕事できない人って・・・

大学の短期研修に出るまでは、たいていのことはこなせるつもりでいたのだけれど、実際に取り掛かってみると、ひょっとして俺って仕事できない人なのか?と思わされてしまった。ので、この話は身につまされた。

最近でこそだいぶ抵抗なくあれこれできるようになってきたが、研修開始当初は輸液の指示ひとつ、呼吸器の設定変更一つにもいちいち抵抗を感じた。透明だが粘りっこい油の中でもがいている感じがした。慣れてしまえば、どうして当初はあんなに手間取ったのだろうと思うのだが。ようやくそう思い始めたころには、研修も終わりに近付いている。ほとんど仕事をしないまま。すみません。

むろん、それは私の実力不足が主因ではあろう。どんな輸液製剤であれ一通りそろっていれば中心静脈栄養カクテルくらいさらさらと処方できなければいけない。仕事のいちいちをどれほど迅速的確にできるかがつもりつもって、その摩擦力の総和を常に抵抗として受けることになる。

俺って仕事できなかったっけか?と思っているうち、急変に立ち会うことがあったりして、ばたばたと処置に手を動かしつつ口頭指示も次々出しつつ、ふと、自施設にいるときなみには動けている自分に気がついたりする。たぶん、そういうときにはコンピューターの指示入力がどうのエックス線を撮るときの感光板の扱いがどうのというお作法系の些事がみんなの頭から消し飛んでいて、次に自分が何をするべきかの指示を餓えたように待っているんだろう。油の中にも、ゆっくり動くものに対する抵抗は高いが速く動くものに対する抵抗は低い、なんていう特性をもつものがあったりするんだろうか。

自施設でも、とくに看護師が就職して経験をつんで一人前になっていくところを何世代もみてきた。就職したてのころからきびきびと働いて優秀なベテランになる人もあれば、就職後何年かしないと使えないという大器晩成型の人もあった。就職したてにはきびきび動くけど、小技ばかり覚えて大成しないという人もあった。

むしろ大器晩成型の看護師のほうが、成熟してしまえば深い意味で良い仕事をするように思える。よほど人を選ばないと任せられないような難しい仕事を、選んで任すような看護師の過去を振り返ってみると、だいたい1年目はあんまり目立たなかったか、はっきり使えなかったかだと思う。

送り出しているような引き受けているような

昨夜は遅くまで大学のNICUに残っていた。むろん残業手当は無し。経験こそ最大の報酬、というやつ。

眠いよと言いながら午前中は自院で外来をして、昼過ぎ自転車で大学へ行く。病棟入り口で産科の病棟医長につかまって、NICUに空床はあるかと聞かれた。大学の、ではなくて、私が部長をしているほうの。これから生まれる双胎の行き先がないとのことだったので、自院へ新生児搬送の手配をする。道具立てなんかは常にセットアップ済みだし、来てね、と電話したらそれですむんだが。

果たして俺は搬送を送り出してるんだか引き受けてるんだか、と思いながら分娩に立ち会い、その後の処置を行いつつ(ったって点滴を一本だけだが)迎えを待つ。大学にスタッフをひとり常駐させておけば、ふだんは勉強をさせて頂きながら、新生児搬送の時は仲介ができて、それはそれで便利だなと思った。

大学の夕方のカンファレンスや回診を終え、難しめの点滴のもう一本も終えて、帰宅途中に自院へ寄り、その子らの様子を見てきた。自院の若手が一人のこって、人工呼吸器の設定を考えていた。いずこもうまくまわっている。