30年前の人工呼吸器

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 新旧2セット保有している新生児搬送用の保育器の、古い方につけている人工呼吸器。
 見ての通りの旧型である。吸気圧と呼気圧、吸気時間と呼気時間を各々設定する。換気回数を設定なんて甘っちょろいことは言わない。吸気時間が0.5秒で呼気時間が1.5秒なら換気回数は30回だ。投与酸素濃度も、空気と酸素の流量を各々調整して設定する。%表示で酸素投与が設定できるような軟派な機械ではない。

 電気回路はいっさいない。圧搾空気自体が動力源である。人工呼吸器の電気はもっぱら警報回路に使うものである。ゼクリスト100Bだってそうだった。

 ということはだ。この機械には警報なんて上品なものはついていない。監視している目と耳と勘だけが頼りの機械だ。搬送中は赤ちゃんの様子から目を離さないんで、何とかなるけど、NICUでこの呼吸器で人工呼吸管理を続けるかと聞かれると躊躇する。とても保育器を離れる気になれない。

 昨今の人工呼吸器は呼吸器回路の内圧が0まで落ちたら必ずアラームが鳴るように求められている。どこから?厚生労働省からだよ。もちろん。だから警報というもの自体が備わっていないこんな機械は、いまとなってはそうおおっぴらに使えるものではない。

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 裏面に「56.11」と刻印したテープが貼ってあるのは、56年11月ってことだろうか。1956年ってことはあるまい(当時は新生児用の陽圧式人工呼吸器なんて概念そのものがなかったはず)。昭和56年11月ってことだろう。昭和56年は1981年。この年に新品で買ったってことか、あるいはどこか他所の病院から貰って自前の備品にしたってことか。よくわからん。昭和56年11月は私は中学生になったばかりのはずだ。30年前。ピンクレディー解散。薬師丸ひろ子デビュー。「ルビーの指輪」ヒット。So you don’t have to worry, worry.

 で、40年前の何を検査して60年まで使って大丈夫ってことにするんだって?と唐突に聞いてみる。

 人工呼吸器に警報装置がついていなかった時代、それをよしとする程度の安全思想であった時代の、何を検査したらあと20年使えるんだって? と聞いてみる。材質がいろいろ傷んでるかもしれない云々もあるけど、そもそもの設計思想の段階で、大丈夫なわけ? と聞いてみる。当時はよかったろう。この人工呼吸器だって当時は最新だよ。呼気圧を0まで落としちゃいけないっていうことは分かってる製品だし。でも、今さらこの人工呼吸器は、とても普段使いに運用することはできない。怖くて。

 原子力発電業界の皆さんは、怖くないのかな。

正規雇用じゃなくて派遣を雇うのはほんとうにお得なんだろうかと思ったこと

負荷試験やるんで早出して、9時からは外来。

私の診察ブースの隣が準備ブースになってて、予診票の受け渡しやら、体温や体重やといった基本的データの入力やら行っているのだけれども、今日はそこに詰める事務員さんがまったく初心者で、看護師があれやこれやと指導する声が漏れ聞こえていた。

外来を進めつつ、漏れ聞こえる声を聞きつつ、こうやって事務員さんを派遣でまかなおうってのは、病院として、ひょっとして損をしているんではないかと思った。

なにさま、こうやって指導を続けることで、配置された事務員さんに加え、看護師さんも指導でそうとう手が取られていた。二人分の人件費が空転したように思える。

それで今後何とかなるんだか、よく分からない。小児科外来の業務は多彩だ。とりあえず次の山は週末の予防接種外来か。数十人を間違いなく切り回さなければならない。

でも事務員さんは、色々苦労して仕事を覚えて、ようやっと円滑に進められるようになったあたりで、交替になる。どういう事情でそういうことになってるんだかよく分からない。私がよく理解できない方面での利害関係か何かで、派遣でおいでの事務員さんが小児科外来の業務に熟達しては困る事情があるんだろう。

でも、小児科外来で最初に患者さんの対応をする事務員が、あんまり素人くさい愚鈍な対応をしては、病院の得にはならないような気がする。むしろ損だろう。切り詰めることができた人件費で補って足りるほどの小さな損失なのか、私には分からない。

原子炉とハードディスク

 NICUで使っている超音波検査機は安物だから、検査した結果の画像はMOディスクに書き込む仕様になっている。うっかりしたことにMOドライブを買い損ねていて、今となっては中古品しか売ってないから、記録した画像もパソコンや電子カルテ端末に取り込めなくて、当の検査機の画面でしか参照できない。まあ、それであんまり不便じゃないけど。

 MOとかJazとかZIPとか、ひところいろいろな記録媒体が出てきてたように記憶している。ZIPドライブもデータのバックアップ用にと誰かがNICUに持ち込んでたが、なんだか使い物にならなかったような記憶がある。

 最近の自然エネルギー関連でいろいろなものが登場してくる様子が、なんだかこのあたりの様子に似ているような気もする。なんとなく寸が足りなくてパッとしない感じがとくに。

 記録媒体についてはなんだかんだしているうちに、結局は昔からあったハードディスクが、頑丈になり大規模にもなって*1、MOもJazもZIPもその他もろもろも、あのころ乱立したものはいつの間にか刈り払われてしまった。

 そんなふうに、結局は原子炉がまた盛り返してくるのかなとも思う。今の原子炉はあのころのハードディスクのような、20MBとか100MBとか、数字はよく覚えてないけどフロッピーディスク何十枚分か程度の記憶容量しかなくって、しかも店で買って持って帰るときに箱のカドをぶつけたらそのままお釈迦になるような、しょぼい世代のものなのだろうけど。

 あるいは、やっぱり原子炉もZIPドライブみたいなものでしかなくて、実はハードディスクに相当する技術は天然ガス発電だったりするんだろうか。

*1:ワシの若いころはの、ハードディスクの記憶容量はMBで勘定していたもんじゃった。

病児保育 夜間保育

毎年この時期は看護師の年度末の退職者で気が重い。人生足別離サヨナラダケガ人生ダとうそぶいてみても空しいばかりで。

 喫緊の課題は夜間保育と病児保育だろう。寿退職はめでたいんじゃなくて、結婚したら働き続けられないという職場の欠陥の現れだ。結婚しても子どもができても働き続けられる環境を整えないと次の段階へは進めない。今は子どもを育てつつタフにNICU仕事をしてみせる先輩の姿がなくて、後続が続かない。

 それにしても病児保育は入れ食い確実な沃野だろうのに、供給がほとんど無いのはどういうわけだろう。現状の勉強からしないといけないな。
 

 

「仕事ができる人」の集まったチームは仕事ができるのだろうか

「忙しい人」と「仕事ができる人」についてもう一つ。

「仕事ができる人」によって構成されたチームって、仕事ができるチームなんだろうかねと。実例見たことないんで分からないんだが。

何とはなく、そう言うチームからは大きなブレークスルーが出ないような気がする。何とはなく、小器用にまとまっててそつなく日々の業務はこなせてるんだけど、発展がないというか、新しい局面に入らないというか、冒険しないというか。「幼年期の終わり」のオーバーロードみたいな、煮詰まってて上のレベルにいけない、みたいな。

やっぱり、無我夢中さってのは大事なんじゃないだろうか。

若いお医者さんは「仕事ができる人」のつもりになってはいけないよ

20代の真面目な人ほど損をしている!『忙しい人』と『仕事ができる人』の20の違い

 仕事ができるかどうかってのは、端的に、その仕事ができるかどうか以外のなにものでもないんじゃないかと、私は思うのだが。各々の仕事に関する具体的な事情を捨て置いて、こういう「態度」論に還元してしまうのは、まあ参考にはなるにしても、本質は突かない。それは日本の企業が終身雇用の正社員で構成されて、なんの業界であれ詰まるところは「サラリーマン」であった、フジ三太郎が何の仕事をしているのかさっぱり分からないけれどそれでもフジ三太郎の姿に大多数の成人男子が自分を重ねて見ることのできた(あるいは、重ねて見ているものだというのが社会的に共有された認識であった)時代の論考のしかたじゃないだろうか。

 若い医者に限らず、必死に仕事を覚えようとしている人が、この「仕事ができる人」の態度をとったら、若いくせに何を勘違いして余力を残して仕事に当たってるんだと頭の一つもこづきたくなるだろうと、私は思うが。この「仕事ができる人」は、自分の仕事の上限を見切っていることが前提だから。ここが合格点、合格点のこれくらい上を飛行すれば地上のでこぼこに当たらず高空飛行可能、と、分かってないとこの態度は取れないはず。

 医者ってそれが分かるのか?これからの時代には医者に限らず、どの分野でも、これくらいやっとけばいいやってのが分かるものなのか? iPhone4Sはすごい機械だと思うし、満足しておおいに遊ばせて貰っているが、たぶん2年して6くらいが出たら陳腐化して見えるだろう。アップルの仕事にしてそれなのに、いったいNICU仕事においても「これくらい」が果たして分かるものなのか。私には分からない。現在のStates of artがこれくらいと思っても、たぶん1年2年で陳腐化するし。まして仕事の仕方も覚えなければならない程度の若い医者が、医者仕事の「これくらい」が分かるものなのか。分かるような奴は生意気で嫌だな。それにたぶん、いまの時点で分かったような気になってたら、ふと気がつくと同期からはるかに取り残されてるってことになるよ。

やればできるじゃないかということ

最近あんまりブログを書いていないんだけれども、なんで動機が薄れたのかと考えてみた。卑近なことを言えばiPhoneフェイスブックで遊ぶのに忙しいからなのだろうけれど、自分の言うことが職場で通るようになってブログで鬱憤を晴らす必要性が薄れたってこともある。

なにさま、今は思うことがどんどん実現している感じがする。病棟で重度心身障害児の呼吸管理もできるよう態勢を整えよと院長から命じられたり、外来に臨床心理士を雇用できたり、NICUではグラフィックモニタ付きの人工呼吸器がデフォルトになったり。追い風。追い風のスピードに負けずに走るのが精一杯って感じ。

以前は何をしても向かい風だった。というか、空気のなかにいる感じがしなかった。粘性抵抗の強い液体のなかにどっぷり漬けられて、どちらに動こうにも動けない感じ。終日、「なぜそれができないか」の言い訳を作るのが仕事だった感じ。

でも部長の肩書きを得て、まあ部下のいない「担当部長」でも部長名義でいちおうの稟議は書けるしってんで、あれこれ動いてみたら、できないはずだった臨床心理士の招聘もできたし、買えないはずだった高嶺の花の人工呼吸器が意外に簡単に手に入ったし。じゃあ今までできない言い訳をしていたのは何だったんだよと思う。手を抜いていただけかよ結局のところ、といういらだちや申し訳なさも当然あるが、それ以前に、言い訳に使った手間暇や心理的負担の方が、実現に使ったコストよりもよっぽど大きかったじゃねえかという、憤慨というか。ひどく人生を無駄にした感があるというか。

そしてその言い訳は自分に対しても言い訳として効いていたんだなと思う。できないことと諦めたことにして、勉強を怠っていた。人工呼吸器ひとつにしても、買ってしばらくは性能を生かしきれていなかった。グラフィックモニタ付きの人工呼吸器が欲しくてたまらないんだったら、手には入ったら即刻使えるくらいにグラフィックの読み方を勉強しておくべきじゃなかったかという反省がある。

それはもう因果としか申し上げようがございません

 新生児蘇生法のインストラクター資格を持っている人のうち、実際に講習会を開いた人は2割程度とか。講習会の需要がないわけじゃなくて、受講希望者が私のお粗末な講習会にも関西はおろか中部北陸からもおいでになる。

 それじゃいかんだろうと学会も問題視してて、インストラクター養成の講習会をさらに増やし、内容も濃くして自信をつけさせて、開催へのハードルを下げようとしている。学会の皆様の労を多とするところである。

 ただまあ、それで画期的に状況が改善するかどうか。

 ようするに、蘇生法インストラクター資格も、個人の資格のひとつとして取った人が大半だろうし。小児科専門医とか、新生児専門医とか、医学博士とか、そのほかもろもろの資格一般の一つとして。個人の属性として。あるいは、施設の属性として。専門医が一人くらいは出てないと研修施設として認めませんよ、みたいなことを学会からほのめかされると弱小施設は辛いんだ。

 専門医の資格をとらせる。国内国外に留学させ研鑽させる。個々のNICUの人的リソースを充実させる。そういう活動はたしかにしっかり行われるべきものなんだけれども、だったら、資格の一つとして蘇生法インストラクターも持っておこうという風潮はその延長だってことも覚悟して見据えておくべきなんじゃないかと。

 まあ、講習会の開催率の低さってのは、いまの学会のありかたの因果応報ってやつじゃないかと。

 

iPadは買ってくれなかった

 周産期医療の質向上に関わる多施設共同研究に参加しているのだが、参加施設への研究費の配分としてまとまった金額を頂いた。現金ではない。金額を指定されて、この金額で欲しいものを申請せよということだった。ただし消耗品に限るとのこと。文房具とか事務用品とか、書籍とか。申請したものを研究本部が買って、こちらへ送ってくれるのだそうだ。

 なんだかなあと思った。これって世間様に胸張って申し上げられるお金ですかとちょっと聞いてみたかった。おそらく年度末の予算消化だろうとは想像がついた。街角のあちこちでアスファルトを掘ったり埋めたりしているのと同類の支出。新生児搬送でその舗装の継ぎ目に赤ちゃんをがたがた揺らされながら救急車を走らせているのだが、その予算消化の片棒担ぎに成り下がったような気がした。要るものは買う、要らないものは買わない、どうしても要るものが買えなければ金を工面する、頂いた金が余れば返す、真っ当なお金の使い方ってのはそういうものだろうと、私は思っていたから、余った金の使い道を探して無理に使い切ろうとするようなこの通知が、なんだか後ろ暗いものに思えた。

 でも聞いてみられたりしたら、聞かれた方はきょとんとするんだろうな。今に始まったことじゃなかろう。単年度予算の研究費を運用しておられる研究者の皆様なら、その何が悪いんだと仰ることだろう。あいにくと不勉強な私はそういうお金に触る機会がこれまでなかった。ぶしつけなのはご寛恕頂きたい。

 通知のメールを読んで、何とはなく嫌な気分がして、INBOXに放置していたんだが、そんなきれい事言って俺たちが使わなかったらどこか別口で消化されるんだろうとも思った。それに俺たちが参加している以外にも世の中には多くの研究があって、たいていは単年度予算で、年度末には文房具を買っているのだろうと思った。俺たちばかりじゃないし、俺たちが止めたって日本国の支出の削減にどれほども寄与しない。こうして堕落するんだなと、ちょっと思った。

 思いつつ、それならiPadなんて買ってみたらどうだろうとも思った。金額は、iPadを4枚買ってお釣りが来るくらいだった。要るものは身銭を切らねばならぬとして、こういうお金は、身銭を切るほどの必然性は無いけどあったら飛躍的にステージが上がるもの、に使うべきなのだろうと思った。予想外の敵を倒してボーナスポイントをたくさん手に入れてダメージ限界突破の武器を買うみたいな。iPadはたぶんNICUに1枚あるだけじゃ機能を十分に発揮できないんだろうが、4枚を連携させたらいろいろ面白いんじゃないかと。まあ具体的な内容は若い者が考えるわな。

 で、申請してみた。iPad4枚。みごとに却下された。コンピューターですからいけませんと。そのメールを見ながら、いやコンピューターって消耗品でしょ?と、文房具でしょ?と、事務用品でしょ?と、ちょっと言い返してみようかとも思ってみた。2年前に買ったiPadに資産価値ってあるの? 医学書並みに腐るの速いでしょうよ。でも、そんなことを言われても向こうの担当者が困るだけなのも推測はつくのでやめた。ちょっと書きかけたメールを削除して、あらためて、文房具らしい品目をいろいろ考えた。

 結局のところは看護師達が熱心に書いている面会ノート用に、超高級の多色サインペン、ファーバーカステルのピットアーティストペンビッグブラシ48色とか、その他諸々の、それこそ身銭を切ってはなかなか買わないものを願い出てみた。折角の面会ノートにかすれたペンを使われても貧乏くさくて赤ちゃんの人生の始まりにけちがつきそうだし。

 科学技術立国なんたら理系離れがどうたらと、我が国の将来を案じる声もあるし、財政規律の立て直しなんて議論も真っ盛りだけど、年度末にあちこちで文房具はいいけどコンピューターは駄目ですなんて話をしているようじゃ、無駄の削減も科学技術の進歩もどっちも半端で共倒れだよなあ。

 

 
 

指導医

新生児専門医受験、ついでにジャパンカップ観戦 – こどものおいしゃさん日記

 日本小児科学会主催の臨床指導医研修会を受講してきた。敵がインフレーションしているとは思っていたが、予想よりもかなり早かった。

 後期研修の世代の皆様もそんな貧相なところには滅多に希望されることのない、場末のちいさなNICUで、指導医を名乗ったところでそれはエア指導医に過ぎないわけだが。しかしそう名乗る人間がいないとうちの小児科が将来的にじり貧になる。誰かが汚名を着なければならないのだろう。世の中にお付き合いしていくためには。

 指導の場面でのいろいろな手法を学ぶ。討論とか寸劇とか。私は高校のブラスバンドで一生ぶん堪能したので「素人芸」はもう嫌なんだが、わがままを言っても始まらないので参加する。参加してみると、事前の講義でこれはこういうからくりでこういう心理になりますと、説明を聞いているにも関わらず、その説明通りの心理に自分の気持ちが動いていくのが興味深いような、空恐ろしいような、気がした。