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  • 年始

    年末年始は大雪だった。本日もまた雪だった。なにか私が当直をすると雪が積もるようだ。

    この年末年始の小児救急は平穏だった。たまたま雪に降り込められたときに泊まっていたからそう感じるだけなのだろうか。けっきょく3診も立てたのは1日だけで、他の日は2診も要らないことが多かった。待合がぎゅう詰めになることもなかった。

    お出でになる子どもさんも、まあこのくらいなら来るわなという重症度で、いわゆるコンビニ受診はほとんど無かったように思う。といって極端な重症もなく、総じて「ほど良さ」感のある年末年始だった。

    NICUは多少ばたばたした。暇だ暇だと閑古鳥を相手に過ごした昨年ではあったが、年末からぼちぼちと入院者が多くなった。大学がいっぱいなときに限って手術の必要な赤ちゃんがたてつづき、年末からつづいて2回大阪まで搬送に出さざるを得なかった。

    本年のテーマはうちと大学のNICU病床の最適な活用だと思った。大学のNICUが大学でしか診ることのできないような特殊な赤ちゃんで埋まっていたのなら、大阪までの搬送も仕方ないと思う。京都大阪間の距離など他府県では県内だろう。しかしシンプルな低出生体重児とかで大学が埋まっていたとしたら、京都の新生児科は総体的に間抜けだなというお叱りを頂くことになるかもしれない。

    京都の新生児に最後まで空床を提供するのが我々のNICUの役割だと考えて、これまで運営してきたのだが、それに加えて、大血管転位やら横隔膜ヘルニアやらの赤ちゃんのために大学の空床を常に確保しておくのも、我々の役割ということになるのかなと思った。

  • ケンシロウ、ViVOはいいぞ

    重い障害があってたえずゼイゼイしている子に、経鼻CPAPを試みたところ、順調に呼吸できるようになった。うれしい。

    以前いちど試みたときにはうまくいかず断念したのだが、本人の体が大きくなってマスクのフィットが良くなったのと、機械のほうがすばらしく進歩しているのとで、今回はうまくいきそうな感がある。なにさま、この子がゼロゼロ言わずに呼吸しているところをみたのは実に久しぶりのような気がする。というか、正直、記憶にない。

    一度断念した治療方針も時間がたったら再考してみるって大事だなと思った。いろいろと状況が変わって、うまくいく要素が生じている可能性がある。

    今の自分は得意満面でたぶんアミバ様みたいな顔してるんだろうなと思う。ViVOというのは今回採用した機体。とても静かでよろしい。

  • 午後10時以降の小児救急停止について

    午後10時以降の小児救急外来を停止して久しい。再開のめどは立たない。

    直接のきっかけはついに過労で医師がひとり倒れたことだった。幸いに生命に別状はなかったが、心胆を寒からしめる事態であった。当院の、小児科常勤医に月7回ほども当直を命じなければならない規模では、終夜の救急は無理と、観念せざるを得なかった。

    そろそろ潮時かとも思っていた。当地の親御さんの認識は素晴らしいものがあり、救急医療現場の疲弊が人口に膾炙するにつれ深夜の救急来院は減少し、止める直前には数名程度になっていた。それも区内からの来院はほとんどなく、多くは隣区からの、まったく当院は初めてというお子さんばかりになっていた。当院来院のいきさつを尋ねてみると、隣区のある病院が、深夜ならあの病院へ行けと「電話相談」で案内していたということが判明した。直接その病院に確認すると、そのように案内していますと実に屈託ない返事が返ってきた。一般の方々にさえご理解を頂きつつあることがどうして同業者に分からないのかと暗澹とした。身を削る思いをして救急を維持しても、覆いかぶさってくる面々はその負担を和らげようと心を配ることはなく、むしろ我々の残った身を削り尽くすまで覆いかぶさってくるのだと思った。共有地の悲劇。ほんらい俺たちの心身は彼らの共有物ですらないというのに。

    小児救急を止めたら当直で寝られるようになった。むろんNICUはある。新生児搬送もあるし、重症の子があれば徹夜もする。NICUを増床し看護師のマンパワーも充実してきたことで、NICUでの仕事はむしろ増えた。しかし寝られる夜は確実に増えた。

    そして頭の中に霧のようにもやもやと続いていた疲労が、十年ぶりに晴れた。いろいろな本も読めるようになった。そういえば俺は昔はよく本を読んでいたよなと思った。しかしなによりの違いとして、同僚や先輩後輩あるいはコメディカルに当たらなくなった。怒りの沸点が上がり、もういいやと自暴自棄になって凍り付く融点が下がって、よどみなく方円の器に従う状態でいられる範囲が広がった。エレベーターで乗り合わせた薬剤師に、先生はこのごろ丸くなりましたねと言われたことがある。この明るくて笑顔のすてきなスタッフにまで無用の圧力をかけていたのかと反省したことだった。

    むろん当地の夜間救急の需要が消失したわけではない。今度は私らのほうが、いまだにがんばっている施設におぶさる立場になっている。申し訳ないと思う。彼らは常勤医だけでも我々の2倍3倍と保持してるんだからと言っても言い訳に過ぎない。しかし夜間救急を通しでやってなお誰も倒さないで済む見込みはたたない。

    患者さんたちにも迷惑をかけているのだろうとは思う。外来でも、ここは夜間やってないから何処そこへ行きましたと、ときどき言われるようになった。どう解決するべきなのか。深夜の数名を診て睡眠不足でふらふらの頭で、翌日日中20名とか30名とか診察していた以前の状況に矛盾がないとは言えない。今のほうがまともな仕事をしているような気はする。しかし今の状況も十分とは言えない。

    どう転んでも、胸は張れない。胸を張って仕事ができるのは幸せだと思う。うらやましいことだと思う。

  • 昔の貧困は桁が違う

    日本残酷物語〈1〉貧しき人々のむれ (平凡社ライブラリー)

    日本残酷物語〈1〉貧しき人々のむれ (平凡社ライブラリー)

    5巻まで読了した。

    昔の貧困は桁が違うなと思った。貧乏も度が過ぎるとここまでくるのかと、自分の想像力の貧困さをむしろ思い知らされる気がした。

    もともと1960年ころ書かれた書物なので、いまから50年前のものだ。その時代ならではの限界もある。自身が批判しているはずの差別意識を無意識に引きずっているような記載も随所に見られる。たいがいそういう箇所は面白くなくて、淡々と取材した事実を述べてある箇所のほうが興味深く読めたのだが、だいたいその筆致は宮本常一のそれだったように思う。

    1960年当時にはまだこの貧しさが国民の多くに記憶されていたのだろうと思う。であればこそ貧乏人は麦を食えと言った云々で首相が退陣に追い込まれたり、ちょっと後になって出てきた田中角栄日本列島改造論など唱えてみるみる人気を伸ばしたりしたんだろうと思う。それは平等意識が根付いたとか経済成長がいよいよ国民に自信を与えたとかいった前向きな意識から出たことではなく、まだ記憶に生々しい貧しい生活だけはこりごりだという、怨念のようなものなんだろうと思う。

    せっかく積み立てられてきた年金の基金を田中の時代に賦課方式に変更して後先を考えない大盤振る舞いを始めたときも、当時の人はとりあえずその日を生きるという発想から抜け出せなかったんだろうと思う。後に残す財産なんて、当時の大多数の人の発想にはなかったんだろうし、先祖代々の借金なんて当たり前のことだったのだろうし。子孫なんて子孫自身で何とかしろよということだったのだろう。ましてようやく遠のき始めた貧困がまたぶり返してきて賦課方式の年金が行き詰まる時代が来るなんて、考えるだに恐ろしいかったのだろう。いや、たぶん全くそういうことは考えなかった。精神分析で言うところの「抑圧」というやつだ。

    そういう、今とは違う昔ならではの事情もあるということは、記憶しておいた方がよいような気がした。

  • 3ステップで象を冷蔵庫に入れる方法

    3つのステップで象を冷蔵庫に入れる方法を述べよ、という問題を、どこかで聞いた。

    解答は
    1.冷蔵庫のドアを開ける。
    2.象を冷蔵庫に入れる。
    3.冷蔵庫のドアを閉める。

    なのだそうだ。

    スモールステップに分けたのではなく前後に枝葉末節なステップを付け加えただけじゃないか、とか、まじめに反論すれば色々と言いたいこともできそうだけど、言うだけ野暮なような気もする。なあんだ、と言って笑って済ますのが正しい態度なのだろうと思う。

    でも医療なんてこんな話ばっかりだ。象を冷蔵庫に入れよという難問にさいして、冷蔵庫のドアを開ける手配ばっかりしているような。コーディネーターばかりが増えて。引き受け手のない緊急母体搬送症例とか、NICU長期入院の重症児とかの対策として、冷蔵庫のドアの開け方の工夫ばっかりされているような気がするんだが。

  • シェーバーの充電器を買った

    3年越しに使っているシェーバーが故障した。息子に「値段が高いぞ」*1と指摘されつつ購入した自動洗浄機能付きのものなので、3年と言ってもまるで減価償却できた気がしなかった。

    洗浄機のスイッチが入らず、電源コードをシェーバー本体に直結しても充電ができない。これはひょっとして電源ユニットの故障かと思って、楽天で検索したら、1000円ほどで鹿児島県の電気店が出品していた。さっそく購入して付け替えてみたら、無事に動き始めた。よかった。

    妙に安いなと思ったら中国製だった。なるほどこういうものを1000円で作るのか。安く作れるのは感心だが、シェーバー本体も洗浄機も壊れないうちにACアダプタが壊れるというのはいかがなものか。もう少しいいものを作るようにしないと、上のレベルにいけないような気がする。

    *1:自分が興味のないものに親が大枚をはたこうとしているのを見ると彼は決まってそう言う。

  • カヴェンディッシュ君のコメント

    最終的に僕がやるべきことは、ラスト200mで全力を出してチームのいい仕事を仕上げることだけなんだ

    泣けてくるような良いコメントだ。

  • 連夜

    サイクリングニュース : CYCLINGTIME.com

    二晩つづけて、私は自院のNICUで過ごし、カヴェンディッシュ君はツール・ド・フランスでステージ優勝した。

    私はカヴェンディッシュ君が好きだ。いかにもマン島の田舎者然とした風貌が好きだ。勝負に貪欲に拘るかと思えば、顔を上気させてランス・アームストロングと夢中になってしゃべっている純朴さも好きだ。サイクルロードレースの中継でもなければ、「世界の車窓から」みたいな鉄道番組で英国の田舎のパブでビールでも飲んでいるのがお似合いな風貌。

    何より好きなのは、彼がステージの最後に爆発的なスプリントで勝利を得たあと、続けて入ってくるアシストたちを待って一人一人抱きしめて感謝する後ろ姿だ。

    彼はアシストにすら勝利を譲らない。昨年のツールで彼は6勝した。21ステージのうち6ステージで優勝してるんだから、そんなに欲張らなくてもいいだろうとさえ私は思う。とくに最終ステージ、シャンゼリゼでのスプリントは圧勝だった。最後のアシスト、レンショーさんだったかヒンカピーさんだったか、どちらかがそのまま走り抜いても、チームコロンビアハイロードは勝利を得ていたはずだった。しかしカヴェンディッシュ君はそれでも最後にスプリントした。そして自分で勝った。

    貪欲に勝利にこだわり、一見冷酷にアシストに自己犠牲を求めて勝利を手中にする、しかしその犠牲に対する感謝は忘れない。いい奴じゃないかと思う。

  • iPadで配布してくれればいいのに

    日本周産期・新生児医学会雑誌の学会プログラム号が送られてきた。でかい。タウンページかと思った。たぶんiPadの本体よりもでっかいんだろうと思う。両方持ってる人だれか教えてください。

    たぶんあと2〜3年もすれば学会誌もiPadとかで配布されることになるんだろう。そうしてくれたほうが片付きそうでよいと思う。ポスターセッションなんかもみんなiPadで片付けばいいのかな。そうしたら学会とか言って時期を指定して集まる意味もなくなったりして。

    集まるってことにはそれなりの意義があるんだろうけどね。

  • 久々に自院で日直

    今日は朝から自院のNICU日直。といってももう一人の医師と二人体制で、休日の救急外来とNICUとを回している。NICUの子らはみんな落ち着いている。

    麻疹、といってもワクチン後の修飾麻疹だから患家に落ち度はないんだけど、の子の入院をさせようとしたら、うちの病棟にそんな移る病気は入院させては困ると言われた。萎えた。親御さんに謝って他の病院を紹介した。いま病棟の二期工事が進んでるんだけど、それが終わっても小児科の病室がそんな状況なら、どっか他所に勤務先を探したほうがいいかもわからん。こんな病院に老いぼれるまで勤めてても、退職金もらった時点でものすごく空虚な気分になりそうな気がする。

    大学での短期研修で留守している間に、自院では電子カルテの導入が進められている。蚊帳の外に置かれている感があるが、まあどのようなシステムであれたいがいは順応できるつもりでいるからいいやと思っている。導入を進めるといっても、カルテのプログラムを変更する余地はいまさら無くて、運用側で、ようするに人間がどう動くかを、今後詰めていくと言うことになるんだけど。どれほどプログラムのできがよいかというより、どれほど人間の側でさばけた考え方ができるかが問われることになる。運用次第でずいぶん使いやすくも使いにくくもなるもんだから、まずは仮組みされたシステムを動かしてみることだと思っている。

    動かしてみてどうしてもうまくいかなくて、プログラムの変更を求めたりすると、かなりの追加料金を支払うことになるらしい。それも釈然としない。だってNICUがどのような方式で仕事を動かしているか、プログラミングの人たちは一度たりとも見に来なかった。彼らの脳内にある仮想病院に合わせて作られたシステムが、実際の病院に合わないからって、合わせる費用を実際の病院側に求められてもねえと思う。彼らにしてみれば報酬を自分らの脳内にある仮想貨幣で支払われても腹がふくれないだろうけれどもね。話し合いを重ねてプロトタイプ作って、動かしてみて調整してということを繰り返して、合意を得た上でのシステムに、変更を求めるときの費用負担なら、まだ喜んで払おうという気も起きるんだけれどもね。

    実際にNICUの臨床プログラムでいちばんうまくいってるのは青森のプログラムだと聞くが、そこのシステムですばらしいのは、大手ではなくあえて地元のベンダーさんに頼んで作ったということだ。ベンダーさんはほとんどNICUに常駐状態で、NICUスタッフの意見を聞いて改善を繰り返しておられるのだそうだ。そんなベンダーさんが地元にあるなら我々も、、、って「はてな」の本社はどこだよ、、、お願いしたいものではある。そんなベンダーさんに月いくらとかでお金を払うのはぜんぜん惜しくない。