若い人がよく働くことについて

世間的には仕事納めを終えて、本日から年末年始の休暇に入る。世間様が休む間は、まっとうな小児科医は救急医療にいそしむものである。とか言いながら自分は昨日からのNICU当直中に本年の業績統計をまとめていたりするのだが。

救急外来は例年のように小児でごった返している。電子カルテで見ると小児科に患者さんが殺到している様子なので、応援が必要かと思って外来に出向いてみると、すでに当番の医師+若手2名で小児科外来が3診立っていた。

こうして忙しいときにさっと加勢に入る若手がいるのは有り難い限りである。最近の若い者はというのが世間の爺婆の常套句だが、最近の若い者はほんとうによく働くと感心する。自分の若い時を思うと忸怩たる思いがする。

自己弁護をすればだけど、自分の若いときにこんな働き方をしようものならその場の仕事がぜんぶ自分に降りかかってきそうだという懸念があって、危なくて働けなかったような気もする。この若い人たちのやる気に甘えないようにしなければならないと思った。

お願いする人される人

IDATENのプロが答えるそこが知りたかった感染症

IDATENのプロが答えるそこが知りたかった感染症

非常勤で応援にきてくださった京大の先生が、外来に忘れて行かれたので、拝借して読了した。*1

感染症は古来からの問題だけど現在でも重要な分野である。新生児をやってれば特にそうだし、重度心身障害医療に縁があればまたそうだし、この二つを逃げ出して小児科広く浅くになってもなお感染症はついてくる。これはもうお釈迦様の手の上を逃げられない孫悟空みたいなものだ。

しかし本書を読んで、いろんな意味で「違うな」と思ったのだが、それは感染症科の皆様と、自分ら、まあ場末のNICUの新生児科なんだけど専業では食いかねて小児科一般外来と兼業してます*2という立場との、スタンスの違いによるものだろうか。

感染症科の皆様の、困った主治医のヘルプコールに応じてさっそうと現れ快刀乱麻を断つがごとくに問題を解決して去っていくスタンス、古くは月光仮面ウルトラマン、近くは「ののちゃん」に呼ばれてやってくるワンマンマン*3のようなスタンス。あるいは感染症の診療がつたない主治医困ったその他おおぜいのヘルプコールがあったりなかったりしてやはりさっそうと現れ快刀乱麻を断つがごとくに問題を解決して去っていったり行かなかったりするスタンス。常駐がそれ以前と比べて状況を改善しているかどうかは世界各地に駐留する米軍にも似て多少複雑な問題である。けっきょくフセインを退治たことはイラクの人々を幸せにしたのだろうか。

いずれにしても彼らは「お願いされて」現れ「支援する」形で問題に関与するヒーローである。それは本書の、「感染症のプロ」とかカリスマとかが教えるという、タイトルや構成にも現れている。お呼びがかかった先生はアマゾンどっと混むでも感染症関係にずらずらと名前の挙がるカリスマであり、本書には「カリスマ先生、みなさんはどうしてそんなに格好いいんですか?」という趣旨の個人的質問がたくさんついている。

カリスマ、ってそりゃあエビデンスレベルとして「専門家委員会や権威者の意見」ていうやつだろうよと、君らはそれを推奨するのかい?と、小声でちょっと突っ込んでみたりもする。

感染症科に注目が集まってるのは、感染症科の診療や研究レベルの高さとはまた別次元で、こういうカリスマ的な格好良さが、若い人や軽薄な人を誘蛾灯みたいに引きつけてるんじゃないかと、まあ狷介な邪推なんだろうけど、思ったりもする。

新生児科にこういう格好良さはないなあと思う。新生児科は他科にコンサルトを出しこそすれ、出されることはまずない。新生児科の診療は全身管理抜きにはあり得ないので、新生児科が診る患者は全て新生児科が主治医の患者である。紹介された時点で患者の身柄と主たる責任は新生児科に移る。移してもらえなきゃ専門科としては着手すら困難である。自分たちに責任を移してもらって、その後は自分たちからあちこちに「お願いする」のが新生児科の基本スタンスである。

その点において、新生児科は究極的なプライマリケア医の集団である。集中治療のできるプライマリケア*4。だからプライマリケアの泥臭さは宿命的に抜けることがない。ヒエラルキーとして他科に頭を下げても下げられることはない。

従って、本書にあるような、他科の医師と合わないときはどうしたらいいんでしょうか、みたいな質問がなされ、最終責任は主治医にとらせればよろしいという答えがなされることは、新生児科には存在し得ない質疑応答だと思う。お願いする側の立場としては、先方にこの子を救う技量があると思えば、先方との相性など二の次である。というか人間性
の悪い医師には患者も協力者も集まらず経験が積めないから医師として大成することもまず無いんで、人間性に優れた名医を各科そろえてネットワークを作ることは意外に簡単である。こっちの頭を下げて子どもが救えるなら頭なんぞいくらでも下げる。取るに足りない相手にははなから縁を作らない。医者の仲が険悪になるときと言うのは、つまらない理由であることもあるが、多くは相手の診療内容に信頼が置けないってことが最大の理由だから、わざわざそんな相手にものを頼む道理はない。

新生児科には感染症科の華麗さはない。院内や業界内から感謝されることもあんまりない。もっぱら、この子のためにお願いしますと頭を下げる立場にある。我々に、この子のためにお願いしますと心から頭を下げてくださるのは親御さんだけだとも思う。まあ、それはそれでよいとも思う。

*1:彼らよりは高いお給料を頂いてるんだから買って読めよというご批判はなしで願います。大学ではオンラインで各種医学雑誌がほぼ無制限に読み放題と知って以来、自分の給料が高いとはあんまり思えなくなってきました。

*2:そのうち農林水産省から戸別所得補償が来るんじゃないかな

*3:ライバル新聞社のトップに風貌などがよく似ている

*4:開業後の成功率は新生児科医はかなり高いんだそうだ。

ケンシロウ、ViVOはいいぞ

重い障害があってたえずゼイゼイしている子に、経鼻CPAPを試みたところ、順調に呼吸できるようになった。うれしい。

以前いちど試みたときにはうまくいかず断念したのだが、本人の体が大きくなってマスクのフィットが良くなったのと、機械のほうがすばらしく進歩しているのとで、今回はうまくいきそうな感がある。なにさま、この子がゼロゼロ言わずに呼吸しているところをみたのは実に久しぶりのような気がする。というか、正直、記憶にない。

一度断念した治療方針も時間がたったら再考してみるって大事だなと思った。いろいろと状況が変わって、うまくいく要素が生じている可能性がある。

今の自分は得意満面でたぶんアミバ様みたいな顔してるんだろうなと思う。ViVOというのは今回採用した機体。とても静かでよろしい。

午後10時以降の小児救急停止について

午後10時以降の小児救急外来を停止して久しい。再開のめどは立たない。

直接のきっかけはついに過労で医師がひとり倒れたことだった。幸いに生命に別状はなかったが、心胆を寒からしめる事態であった。当院の、小児科常勤医に月7回ほども当直を命じなければならない規模では、終夜の救急は無理と、観念せざるを得なかった。

そろそろ潮時かとも思っていた。当地の親御さんの認識は素晴らしいものがあり、救急医療現場の疲弊が人口に膾炙するにつれ深夜の救急来院は減少し、止める直前には数名程度になっていた。それも区内からの来院はほとんどなく、多くは隣区からの、まったく当院は初めてというお子さんばかりになっていた。当院来院のいきさつを尋ねてみると、隣区のある病院が、深夜ならあの病院へ行けと「電話相談」で案内していたということが判明した。直接その病院に確認すると、そのように案内していますと実に屈託ない返事が返ってきた。一般の方々にさえご理解を頂きつつあることがどうして同業者に分からないのかと暗澹とした。身を削る思いをして救急を維持しても、覆いかぶさってくる面々はその負担を和らげようと心を配ることはなく、むしろ我々の残った身を削り尽くすまで覆いかぶさってくるのだと思った。共有地の悲劇。ほんらい俺たちの心身は彼らの共有物ですらないというのに。

小児救急を止めたら当直で寝られるようになった。むろんNICUはある。新生児搬送もあるし、重症の子があれば徹夜もする。NICUを増床し看護師のマンパワーも充実してきたことで、NICUでの仕事はむしろ増えた。しかし寝られる夜は確実に増えた。

そして頭の中に霧のようにもやもやと続いていた疲労が、十年ぶりに晴れた。いろいろな本も読めるようになった。そういえば俺は昔はよく本を読んでいたよなと思った。しかしなによりの違いとして、同僚や先輩後輩あるいはコメディカルに当たらなくなった。怒りの沸点が上がり、もういいやと自暴自棄になって凍り付く融点が下がって、よどみなく方円の器に従う状態でいられる範囲が広がった。エレベーターで乗り合わせた薬剤師に、先生はこのごろ丸くなりましたねと言われたことがある。この明るくて笑顔のすてきなスタッフにまで無用の圧力をかけていたのかと反省したことだった。

むろん当地の夜間救急の需要が消失したわけではない。今度は私らのほうが、いまだにがんばっている施設におぶさる立場になっている。申し訳ないと思う。彼らは常勤医だけでも我々の2倍3倍と保持してるんだからと言っても言い訳に過ぎない。しかし夜間救急を通しでやってなお誰も倒さないで済む見込みはたたない。

患者さんたちにも迷惑をかけているのだろうとは思う。外来でも、ここは夜間やってないから何処そこへ行きましたと、ときどき言われるようになった。どう解決するべきなのか。深夜の数名を診て睡眠不足でふらふらの頭で、翌日日中20名とか30名とか診察していた以前の状況に矛盾がないとは言えない。今のほうがまともな仕事をしているような気はする。しかし今の状況も十分とは言えない。

どう転んでも、胸は張れない。胸を張って仕事ができるのは幸せだと思う。うらやましいことだと思う。

12月8日って何の日だったっけ

12月8日を知らない若者 – 原 淳二郎 : アゴラ – ライブドアブログ

12月8日に百万遍四条河原町あたりをちゃらちゃらした格好で歩いてみせて、テレビニュースの中継班に「今日は何の日か知っていますか」と聞いて頂いて、「レノンの命日じゃないですか」と答えるというのを、是非やってみたいと、以前から思っていた。その夕方のニュースあたりで「日米開戦からうん十年、このように若者の間では戦争の記憶は希薄になっています」などと月並みな総括をさせて、それを観ながら笑ってやろうと思った。

Imagine there is no heaven.

さすがに白髪の目立つ年齢になってしまったのと、着ている服がユニクロばっかりで周囲から浮き立つほど思慮の浅そうな格好ができないのとで、いまだに実行できないでいる。

原先生には気の毒だが、この学生さんは先生が何の日と言わせようと思っていたかお見通しだったんじゃないかと思う。レノンの歌を聴いていて、その命日も記憶しているのなら、その日が世間一般では何の日として人口に膾炙しているかも、普通知ってるだろう。そして12月8日が何の日かと聞かれたら、あえて真珠湾攻撃には言及せず、レノンの命日だと言うだろう。

Nothing to kill or die for.

反骨精神はあるけど俺はポールのほうが好きだという面々は、12月8日って何の日ってきかれたら・・・べつにレノンの命日だって答えてもいいんだろうけどそれじゃあんまりなので、別の回答を準備しておこう。第一バチカン公会議の開催された日です、はどうだろう。「無原罪の御宿り」がカトリックの教義として公認された日ですってのも相手を煙に巻くのには使える。レーガンゴルバチョフが中距離核戦力全廃条約に調印した日ですと答えたらウヨ教師も黙るかも知れない。ソビエト連邦が消滅して独立国家共同体が創設された日ですと答えたらウヨ教師は喝采するかも知れない。「ハリー・ポッターと賢者の石」が日本で刊行された日ですと答えてもよいし、欧州でWiiが発売された日ですというのもよい。もんじゅでナトリウムが漏れた日ですというのもある。ジェイコム株大量誤発注事件の日ですというのはどうだろう。そういうのをつれつれ並べてやって、苛々したウヨ教師が「重要な戦闘があった日だろう」とか言い出したら、「ああ、そういえば第一次世界大戦フォークランド沖海戦がありましたね」と答えてやるのもよい。

ちなみにこの程度は教室でウィキペディアから「12月8日」を検索すれば簡単にわかることだ。だれか一人くらいiPhoneもってるだろう?

Above us only sky.

しかし、私はたぶんもう12月8日の計画を実行することはないだろう。娘の中学校で、9月9日の「救急の日」・・救急医療を舐めてるのかと怒りたいくらいの安易な記念日だが・・の訓話をしようと、「今日は何の日か知っていますか」と問うた先生に、娘の級友の一人が、「カーネル・サンダースの誕生日です」と答えたらしい。クラスはどよめき、先生はお話の先を続けることができなかったとのこと。この切れ味には勝てそうにないので、計画は封印である。

忘年会

病院医局の忘年会だそうだ。ひどくだるい。2〜3週間ほど休日なしだったところへ土曜日曜と昼夜逆転してしまってだるいのか、それとも今日は忘年会だと思うからだるいのか、よくわからない。診療以外のことで拘束しないでくれよというのが本音である。

この雨降りに聖護院まで行くのかよと思うとげんなりする。晴れた気持ちのよい日に雲ヶ畑とか大原とか自転車で行くのはぜんぜん遠いとは思わないけど、雨降りの夜にボーネンカイでと思うと聖護院は遠い。

そこで患者さんにかこつけてさぼることにする。日中に来院された子が入院することになったので、その子の診療と称して土壇場キャンセル。

そもそもこの病院医局の宴会は気にくわない。何が気にくわないって、もう十年以上前のことを執念深いけど、私は自分の歓迎宴会を欠席して当直していた。なぜって当時の小児科常勤は4人で、一人は副院長・もう一人は医務部長で偉い人だから立場上歓迎会を休むわけにはいかず、もう一人は女医さんで帰りたいから、私しかNICU当直をする人間がいなかった。

自分の居ない宴会でどういう歓迎を受けたんだかよく分からない。どのみち私のようなコミュニケーション障害者にとっては、宴会は「来なくてよい」と言われるのが最善なので、おそらく最適な歓迎会をやっていただいたということになるんだろう。「ここで自己紹介を兼ねて隠し芸をひとつ」などと言われたら翌日から出勤拒否することになっていただろうし。

ワクチン

妻が録画しておいてくれていた「クローズアップ現代」のワクチンに関する特集を観ての感想。

ワクチンの定期接種化を「只にする」という文脈だけで語ってしまうのは片手落ちだと思う。定期接種と任意接種の違いは、接種費の負担は二義的なことで、一番の違いは副反応が生じたときの補償の手厚さだ。任意接種のワクチンは一般の医薬品とおなじ扱いだが、定期接種のワクチンの副反応に対する補償はきわめて手厚い。*1

以前は副反応が生じた方々への遠慮が過ぎて、ワクチンに及び腰になるあまり、原疾患で重篤な結果になる方々が無為に増えていくという結果になってしまった。その反動のためか、最近は副反応について語られなくなった。しかし副反応の問題が消え去ったわけではない。

もちろん重篤な副作用が発生する可能性はきわめて低いのだが、なんらかの疾病に罹患した人だけに投与する一般医薬品とは違って、対象となる年代のほぼ全員に投与されることを目指すワクチンは、投与される人数が桁違いなだけに、副反応を無視するのもバランスを欠くことだ。

副反応に対する対策を立てるに際して、

  1. ワクチンを任意接種のままにして保護者の選択とし、副反応が生じても自己責任とする。
  2. ワクチンを定期接種として、副反応に対しては一般医薬品以上の補償を行う。

どっちか選ぶなら、後者の方が倫理的ではないかと思う。そう言う観点での、ワクチンの定期接種化を望む。もうじき京都でもHibや肺炎球菌やパピローマウイルスに対してのワクチンが公費負担されるけど、任意接種の費用を公費負担しますというのでは副反応が生じた際の補償が片手落ちになる。定期接種化こそが王道だと思う。

もちろん、無料化も大事なことではある。公衆衛生は基本的悪人正機であり他力本願である。自ら助ける者しか助けないのでは公衆衛生の施策はまるで進まない。それで余計な病気にかかる子どもが減るのなら、ばしばし無料にすればよいと思う。その銭を社会が出すのかよという問いには、とりあえず、すでに子ども手当とか称して何にでも使える銭を出してるじゃないかよと答えよう。今さらワクチン費用を国から出さないって法はないだろう。とりあえず今のところは子ども手当についてもちろんそのお金で予防接種しますよねと明朗な笑顔で念を押していただきたい。目が笑ってなかったりするかもしれないけれど。

*1:銭さえ出せば副反応が生じてもよいというのかという愚問には応答するつもりはありません。

新生児蘇生法2010年アップデート

12月5日は当直明け。新生児蘇生法の2010年アップデートの講習会を受講するため阪大病院へ行った。

救急車以外の交通手段で行くのは初めてである。救急車で行くときには高速からの分岐がややこしくてなかなかスムーズにたどり着けない。万博記念公園のあたりで理学部か工学部あたりが変な実験をして時空を曲げてやしないかという気がする。太陽の塔が妙に曲がって見えるのもそのせいだろう。

阪急とモノレールを使ったら迷いようもなく阪大病院に到着した。会場を確認してもあと1時間以上ある。食堂で昼食をとり、髪が伸びていたので院内の床屋で散髪もした。さすがに手早い。病院内で散髪まですませようという面々がそうそう暇人なわけがないから当然ではあろう。散髪が終わったあたりでちょうど受付時間になった。

今回の講習は実技なし試験無しの講義のみで、2005年版との差分の説明を受けた。迅速な換気の確立を最優先にすることは変わりなかったが、酸素投与については使いすぎないことを強調するようになった。それもあって酸素飽和度(SpO2)のモニターを行うことがほぼ必須となった。総じて、余計な枝葉が落ちて、より本質的になったなという印象を受けた。

今後は分娩時仮死が生じうるすべての施設で酸素飽和度計が必須になる。その設備投資が助産所なんかにはつらいんじゃないかと会場から質問があった。「それくらい買え!」という回答をオブラートに包むのに講師が苦労していた。

緊急母体搬送

緊急母体搬送の依頼があった。京都中のNICUに空床がある中でうちに声を掛けて頂いたのが嬉しい。

11月末から連続して何人か赤ちゃんをお引き受けしたのだが、たいへん幸いなことに皆さんどんどん治って行かれる。いまだに空床は多い。病院経営層は苦虫かもしれないが、思うぞんぶん紹介を受けられて、新生児科医としては幸せな状況だと思う。

場末場末と卑下してはいるが、外科的合併症のない早産体出生体重の切迫早産だと、うちは総合周産期母子医療センターとならんで受け入れ先の第一か第二候補にあがるべきポジションにあると自負している。大学には大学の役割があるから、大学よりは先にうちが引き受けるのが地域のリソースの有効利用だと思う。