投稿者: yamakaw
鎮魂について
けれども、フッサールとハイデガーの死者たちはある意味で「静かに死んでいる」。
ひどい言い方をすれば、「現事実的に有用」なしかたで死んでいる。
それはたとえばハイデガーが帝国のために死んだドイツの若者を顕彰する誇らしげなくちぶりからもうかがえる。
ときおり、自分の疑問に対して内田樹先生がタイムリーに回答をくださることがあって、ひょっとしてお読み頂いているのかな?と夜郎自大的な妄想を持たないでもないのだが、先生にはそれは共時性というものだと一蹴されることだろう。
なにさま、このあいだ読んだ平間洋一著「戦艦大和」における戦死者への鎮魂の作法について言及した矢先に、内田先生のブログで上記の指摘があった。そうそう、まさにそれを言いたかったのだよ、と私は思った。
「戦艦大和」における戦死者への言及のあり方は、まさに「現実的に有用」な死者に対する言及のあり方である。いやしくも自衛隊の幹部であった人が、旧軍の戦死者を「現実的に有用」なものとするのは宜しくないと思う。同胞としてのみならず同じ軍人として(あ、自衛隊は軍隊ではないんでしたね、はいはい)あまり美しくない態度だと思う。
戦艦大和
クイズです。右寄りにあって普段は役に立たないけど、ときに暴れ出すとはた迷惑でつまみ出されるものってなんでしょう。
- 作者: 平間洋一
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2003/05
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (6件) を見る
左京図書館の書棚にあったので、予約本を受け取るついでに借りて読んでみた。
政治的に中立で客観性を重んじて記載すると宣言する書物の常で、めいっぱい政治的立場が入っていた。大和の建造にあたった人々の機密保持や優れた工程管理を褒め称え、乗組員の「愛国心」をも褒め称えている。特にこの愛国心が戦後軽んじられる傾向にたいして悲憤慷慨の念に堪えない模様である。
しかしその「愛国心」と行っても、それは生存者の戦後の証言や遺書が主な根拠なのだが、いかにも資料収集の段階でバイアスがかかる状況だと思う。大和沈没に際して亡くなった人たちの声なき声を聞かないとなかなか全体像はつかめないんじゃないか。乗組員3000人のうち、自分の死の意義を国家に結びつけて考えるような、海兵卒のエリートがどれだけ居たというのだろう。徴兵されて大和に乗せられ、大和とともに沈んでいった兵士たちの心境はどうだったのだろうか。殺された人の心境について、いや彼らは進んで殺されたのだと述べて称揚することが、鎮魂につながる態度なのだろうか。
むしろ吉田満氏が著書「戦艦大和ノ最期」で述べるところの、高齢や病気のため艦を降ろされる兵士に対する艦内からの無言の羨望こそ、彼らの心境を雄弁に物語っているのではないか。
私が思うに、大和に関する逸話でもっとも美しい台詞とは、沈没寸前の大和艦橋で吉田少尉(当時)が大和とともに沈もうとしたさい、ある高級士官(森下信衛参謀長だそうだが)に叱咤された「馬鹿、若イ者ハ泳ゲ」という台詞だと思う。今の若い者に愛国心が足りないと嘆くご老人は、国の沈没に際して「若イ者ハ泳ゲ」と、つまりは殉死など考えずとことん生き延びろと、言ってやれる気概はあるんだろうか。むしろ逆に、若い者こそ沈む艦に体を縛り付けて一緒に死ねと言いつつ、これで救命艇の自分の席が確保できるぜへへへとほくそ笑むような、現代を嘆く声にはそういう醜い印象がどうしてもぬぐえない。
救命艇しかり、年金しかり。
以下は蛇足かも知れないが。
- 大和の巨大な主砲は、生産力の追いつかない貧乏国の海軍が、より長距離からアウトレンジで攻撃するための秘策だそうだ。テポドンかよ。
- 機密保持に関しては、茶化すようだが、それほど厳重に機密を守られた大和や武蔵が、どうして日本人の心の支えになり得たのかが私には分からない。戦後の(一部の)日本人にとっては大和もゼロ戦も心の支えかもしれない。しかしゼロ戦は終戦間際まで「海軍新型戦闘機」でしかなかったし、大和は存在自体が最期まで軍機だった。「史上最大の46センチ砲を搭載した大和を作ったんだから日本は強いぜ」とおおっぴらに口にしようものならたちまち特高や憲兵にとっつかまってたはずだ。
- 吉田満氏の「戦艦大和ノ最期」にある記載のうち、左舷に集中攻撃を受けて傾いた艦を立て直すために右舷側の機関室に注水するという記載と、満載の救命艇になおもすがりつく兵の手を日本刀で切り落としたという伝聞の記載について、本書では、実在しない話だと断言している。機関室に注水の件に関しては、大和にはそんな機能はないとのこと、日本刀については、救命艇に日本刀を持って行くことはないとのことから、あるはずがないことなのだそうだ。私もこの2点は、本当にあったことだとしたらあまりに辛い話なので、なかったことであって欲しいとは思う。無人の区画に注水するという命令を勘違いしたとか、「日本刀があれば切り落としていた」という仮定の話に尾ひれが付いて実際の話に化けてしまったとか、そういう話であればよいと思う。しかし、「あるはずがないからあったはずがない」という論理の型は、臨床ではまれならずひっくり返される。信じたいこととを信じるという態度は、少なくとも本書では、序文で宣言された態度には矛盾する。
- そのいっぽうで、本書では米国は世論として日本人を全滅させるとの意思を強く持っており、大和沈没後に漂流している日本兵に対して執拗に機銃掃射を加えたと主張している。なんだか沖縄県民を集団自決に追い込んだ論理が21世紀になっても生き延びているようで、意外な主張だと思った。防大卒(1期だそうだ)で自衛隊でもそこそこ出世した著者が、米国の日本人に対するホロコーストの意図を示唆しているのだ。けっこう重大な主張だと思う。もうちょっと慎重にしたほうがよろしいのではないか。
- この点について、吉田氏は漂流中、不思議な米軍機が1機上空を旋回しており、この機が邪魔で機銃掃射が控えられたと証言しているのだが、本書ではこの証言に対する言及がない。なんだか都合の良いところばかりつまみ食いしている印象を受ける。
ちなみに冒頭のクイズの答えは「虫垂」ですよ。
新年会
先週末には大学の新生児の勉強会と、地元の医師会の新年会に、続けて出た。むろん大学にしてみれば地元の医師会の催しなどはなから眼中にない。私自身、昨年までは医師会の新年会など平気で無視していたのだが、さすがに対外的なことも考えなければならない立場になった。おかげで勉強会には一人だけ背広にネクタイだった。
医師会の新年会は初めて出たのだが、最初の乾杯がビールではなくてシャンペンだというのが象徴的だった。私世代はまだ小僧扱いである。年配の人が多いのだが、そのぶん皆さん年相応に食欲が上品なようで、その中で一人がつがつするのも憚られた。主だった先生方に現部長から紹介してもらって挨拶して、早々に引き上げてきた。唯物論的にはシャンパン1杯、蕎麦1椀、寿司3個で1万円。参加費は病院からおりるらしいが、これが自腹だと辛いな。
なかにロードバイク乗りの先生があって、自転車の話をした。乗れば乗るほどに確実に強くなるからとアドバイスを受けた。自転車乗りの先達と話をするのは初めてで楽しかった。気持ちの上では黒字な会合だった。
大阪の道も走りにくいと思う
年始
年末年始は大雪だった。本日もまた雪だった。なにか私が当直をすると雪が積もるようだ。
この年末年始の小児救急は平穏だった。たまたま雪に降り込められたときに泊まっていたからそう感じるだけなのだろうか。けっきょく3診も立てたのは1日だけで、他の日は2診も要らないことが多かった。待合がぎゅう詰めになることもなかった。
お出でになる子どもさんも、まあこのくらいなら来るわなという重症度で、いわゆるコンビニ受診はほとんど無かったように思う。といって極端な重症もなく、総じて「ほど良さ」感のある年末年始だった。
NICUは多少ばたばたした。暇だ暇だと閑古鳥を相手に過ごした昨年ではあったが、年末からぼちぼちと入院者が多くなった。大学がいっぱいなときに限って手術の必要な赤ちゃんがたてつづき、年末からつづいて2回大阪まで搬送に出さざるを得なかった。
本年のテーマはうちと大学のNICU病床の最適な活用だと思った。大学のNICUが大学でしか診ることのできないような特殊な赤ちゃんで埋まっていたのなら、大阪までの搬送も仕方ないと思う。京都大阪間の距離など他府県では県内だろう。しかしシンプルな低出生体重児とかで大学が埋まっていたとしたら、京都の新生児科は総体的に間抜けだなというお叱りを頂くことになるかもしれない。
京都の新生児に最後まで空床を提供するのが我々のNICUの役割だと考えて、これまで運営してきたのだが、それに加えて、大血管転位やら横隔膜ヘルニアやらの赤ちゃんのために大学の空床を常に確保しておくのも、我々の役割ということになるのかなと思った。
パズルとミステリー 緊張とパニック
マルコム・グラッドウェル THE NEW YORKER 傑作選2 失敗の技術 人生が思惑通りにいかない理由 (マルコム・グラッドウェルTHE NEW YORKER傑作選)
- 作者: マルコム・グラッドウェル,勝間和代
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2010/08/06
- メディア: 単行本
- 購入: 2人 クリック: 19回
- この商品を含むブログ (19件) を見る
パズルというのはデータが足りずに問題が解決できないこと。オサマ・ビンラディンの居場所とか。ミステリーというのはデータが溢れかえっていて問題が解決できないこと。エンロンの崩壊とか。公開された財務関係の資料を読めば、この企業の業績なんてまるでスカだということは分かったはずなのに、その公開されていた資料というのがあまりにも膨大で、内部で責任ある地位にいた人間すらほとんど理解できていなかったとのこと。
パズルである問題を解決するためには資料の収集が重要であるが、ミステリーを解決するにはその方針ではよろしくないんだそうだ。それはまあ臨床でもそうだよなと思う。脈絡無く検査出しまくるのは臨床でも愚かな行為だ。ましてその結論が「時間をおいてこの検査を再度行わなければならない」というのではなおさら。
緊張のあまり失敗するときには、熟練していて無意識にできることまでいちいち初心者のように意識に上らせてしまっている。パニックになっているときには些細な問題の一点に注意が集中してしまっていて、ほんとうなら意識するべきさまざまな問題に意識が回っていない。
なるほど。
そのほかもろもろ、重要な考察が随所にあり、賢い本だと思う。原書は1冊だったのかな。勝間先生が翻訳して3分冊で売り出した邦訳を図書館に予約しておいたら、2冊目が先に来たので読んだ。文庫化されたら買うかな。厚めの文庫本1冊に納まるんじゃないかと思うし。
年末の大雪
本日から明日にかけて、京都では雪が降り続くとの予報である。じっさい医局の窓から見える景色は一面の雪景色である。眺めているだけなら風情があっていいが、この中を新生児搬送に呼ばれたら苦労するだろう。眺めの良い土地というのは遊ぶにはよいが住むには向かないことが多い。
ひっそりと一年をふりかえっているわけだが、じつにいろいろなものが壊れた一年だった。テレビも壊れた。風呂のガス給湯器も壊れた。あまり暑くて数年来使っていなかったエアコンを動かしてみたらこれも壊れていたことが判明した。息子のベッドも壊れた。浴室の排水路も詰まって溢れていた。そのほか諸々。大学NICUに研修に行って鼻っ柱を折られたなどという抽象的なものもある。
こうして書き並べてみるとつくづく大変な一年だったと思う。この不景気にこのようなトラブル続きのなかで、なんとか経済的には困窮することなく切り抜けられたのは幸せだった。それになにより、家族や周囲の人々の健康が損なわれなかったことが良かった。実のところは全く無傷というわけでもなく色々奔走したこともあったのだが、一段落してみると一病息災の範囲にぎりぎり納まった。ありがたいことだと思う。不運だったという感覚はほとんどない。むしろこれだけ色々あったのに平穏な年末を迎えることができて幸運だったと思う。本当にありがたいことである。
星を継ぐもの
- 作者: ジェイムズ・P・ホーガン,池央耿
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 1980/05/23
- メディア: 文庫
- 購入: 207人 クリック: 2,160回
- この商品を含むブログ (469件) を見る
読み進むのが惜しいほどの名作。あまりに名作なので熱心に語ると冷笑されがちなのはベートーベンの交響曲第5番と同じ。でもどんなに笑われても「運命」は寸分の隙もなく構築された名作だし、「星を継ぐもの」もまた、「運命」よりは荒削りだけれども、やはり、よいものはよい。
エアカーの機首に格納されたDECミニコンピュータはポートランド地域交通管制センターの地下のどこかに設置されているIBMの大型コンピュータを呼び出し、・・・
という下りを呼んで、古典だなと思った。DECのミニコン、ねえ。
冬休み
今日は昨日よりも小児科外来が効率よくまわっている。患者さんが昨日よりも多少すくないことにくわえ、、今日の担当医がベテラン揃いであることもあるのだろう。応援の必要もあるかと思って病院に出てきて、来院の多い午前中をいちおう待機してみていたのだが、帰れそうな気配である。正式な自分の担当の日にも平穏であってほしいと思う。
当地の産科の先生方との席で、講演をさせていただく機会に恵まれた。来年早々なのだが、当院NICUに関して総括とも宣伝ともつかぬプレゼンをさせていただこうと思っている。
前部長の世代にとって、新生児医療はadventureだった。私にとって新生児医療はbusinessである。着実なもの。成功する責任が重いもの。駅馬車時代の西部ではなく、現代のロサンゼルスで仕事をしているつもり。
