世代間格差のこと

年金やなんかで世代間格差が大きい云々。親の世代よりも自分は将来貰える金が少ないという。不当なのかなと何となく思っていたけれど、でも、そうは言っても俺も親に仕送りなんてしてないしなあと思い至る。

もしも親の世代の年金が相応の額でなければ、私は自分の両親と妻の両親とを扶養しなければならなくなる。空恐ろしくなるくらいに扶養家族が増えてしまう。とうていやっていけそうにないような気がする。

それを言えば親孝行を世間の皆様に肩代わりしていただいてるような気がしてくる。世代間格差を攻撃する資格は自分にはないような気がする。というか、世代間格差で自分はまだ得をする側に居るような気がする。

確実に損をするのは私の息子や娘の世代以降だよなあ。彼らのことを考えないと。

てめえらそれでも男か

コンピュータ将棋、初勝利 女流王将を下す 情報処理学会「あから」 – ITmedia News

あえて言おう。
得体の知れない相手と対戦するのにまず女を出すなんて、てめえらそれでも男か?
負けたのは女流だもんねとか言ってれば体面が保てるとでも思ってるのか?
ふつう、そういうのは敵前逃亡っていうんだ。
いい度胸だ、たあ、いったいどの口から出た台詞だ?

日本がものづくりの国だなんて誰がほざいた戯言なのか 

[http://kokuhaku.keikai.topblog.jp/blog/10008817.html:title=【シリーズ告白】 (株)メトラン トラン・ゴック・フック氏 – 経営者会報 社長ブログ

メトランの人工呼吸器はうちのNICUでも使っている。タフで安定した機械である。安心して限界まで攻めることができる。その上、大事なことだが、私ら弱小NICUでもそろえられる程度に安価である。

社長さんがベトナム出身だとは知らなかった。引用先の記事を拝読すると、想像を絶する辛酸を舐めてこられた方である。こういう人が世に問う人工呼吸器ならタフなのも当然だろうと思う。製品の吟味も確かだろうし、たとえ不具合が判明したとしても、これまでのご苦労に比べれば不具合の公表など軽いものだろうから、隠蔽などと言う怯懦な所行に走ることもなかろう。今後も安心して使いたいと思う。

しかしこの記事(PDFの1枚目後端から2枚目にかけて)に、気になる箇所があった。

 ある大手メーカーに部品供給をお願いしたときのことである。
 その会社の製品を高頻度人工呼吸器に使いたいと依頼したところ、社長からこんな言葉が返ってきた。
「何か事故でも起きて、うちの名前が出たら取り返しがつかない。勘弁してほしい」
 同じような理由で断られたことは、一度や二度ではなかった。人間の生死がかかる製品に自社の部品を供給して、リスクを負うようなことはしたくないということなのだろう。

 で、どこの政府が弱腰なんだって?と聞いてみたくなる。日本がものづくりの国なんて、いったい誰がほざいた戯れ言だと思う。この社長の心意気に答えられなかった時点で、すでに、日本の製造業がベトナムや中国や台湾に喰われてしまう萌芽がみえてたんじゃないかと思う。いつ壊れてもいいようなどうでもいい製品しか作るつもりはございません、なんて態度では、そりゃあ、安い方に仕事を喰われるでしょうよ。

 大手に断られたけど技術力があってリスクをいとわない中小には受け入れられた、となったら、もうすこし救いはあるけれども、でもその中小企業をいまばしばしと潰しているところだし。けっきょく日本のものづくりは終わってるってことに変わりはないのかも。

 

シェーバーの充電器を買った

3年越しに使っているシェーバーが故障した。息子に「値段が高いぞ」*1と指摘されつつ購入した自動洗浄機能付きのものなので、3年と言ってもまるで減価償却できた気がしなかった。

洗浄機のスイッチが入らず、電源コードをシェーバー本体に直結しても充電ができない。これはひょっとして電源ユニットの故障かと思って、楽天で検索したら、1000円ほどで鹿児島県の電気店が出品していた。さっそく購入して付け替えてみたら、無事に動き始めた。よかった。

妙に安いなと思ったら中国製だった。なるほどこういうものを1000円で作るのか。安く作れるのは感心だが、シェーバー本体も洗浄機も壊れないうちにACアダプタが壊れるというのはいかがなものか。もう少しいいものを作るようにしないと、上のレベルにいけないような気がする。

*1:自分が興味のないものに親が大枚をはたこうとしているのを見ると彼は決まってそう言う。

薬を貰いに

根が狭量な性格であるもので、親御さんの言葉尻にひっかかることがある。外来での問診の最終に、「・・・で薬を貰いに来ました」と言われると、貰うって言われても無料配給じゃないですよ、と答えたくなる。今さらいい年してそんなこと口に出しては言わないけれど。

昔はそういうときには「お薬をいただきに」と言ってたんだろうなと思う。よく知らないけど。相手にしてもらうことを有り難く受けるという意味での「いただく」が、次第に、只で貰うという意味での「いただく」に変化して、そのうちつい実も蓋もなく「貰う」という言い回しをするようになったんじゃないかと思う。乳幼児医療うんぬんで健康保険の自己負担分を自治体が肩代わりするようになったこともあり、即物的なレベルでも薬は只で貰えるものになったことが、その背景にあるんだろうと思う。

薬を「貰う」人に、その薬を「くれる」のは、私ら医師じゃなくって、保険料や税金を負担してくださっている世間の皆様なのだけれども。むろん「貰う」人自身も他の多くの場合は「くれる」側に回ってるのだろう。保険料や税金の負担が軽いと思っておられる方はそう多くはないはずだが、自分も含めたその多くの皆様のご苦労を思い浮かべれば、やっぱり、「貰う」という言い方はなかろうと思う。

ひさしぶりに超体出生体重児の主治医をする

ひさびさに超体出生体重児の主治医をしている。

この子らを生かすのは誰の手柄なのだろうと、さいきん思う。自分たちの技術や知識が向上しているのは間違いないと思うのだが、にもかかわらず、俺がこの子らを救ったんだという気が昔ほどにはしなくなってきた。

それは責任からの逃避ではないつもりなのだが。

辺境NICUから

辺境から眺める―アイヌが経験する近代

辺境から眺める―アイヌが経験する近代

アイヌは独自の農業や漁労の体系を持っていたが、松前藩明治政府の支配以降、農業を知らない未開の狩猟社会として認知された。アイヌを狩猟に特化させたのは、松前藩以南の内地の経済的な都合に加え、支配を政治的に根拠づけるためには彼らを未開の民族と位置づけた方がよいという都合もあった。その結果として、アイヌの長い歴史や伝統は故意に忘れ去られた。忘れ去られた後になってみれば、もともと存在しなかったのか忘却されたのか、忘却が自然の成り行きだったのか故意だったのか、それすら問題ではなくなった。シンプルにそれは不在となった。

今の私の勤務先は、京都では初めて認可を得たNICUである。しかしそれすら平成6年だったか、私が医師免許を得るよりは後だった。学部生の時にも私はこの近所に下宿しており、夏休みに病院実習と称して1週間ほどこの病院に来てみたことはあるのだ。そのときはNICUなどなかった。その後に赴任した前代のNICU部長が作り上げたのが、今の勤務先のNICUである。彼はそれまで勤務していた大阪の病院からNICUのノウハウを一式持ち込んで、看護師らをトレーニングして、京都初の認可NICUを立ち上げ、全国最低レベルだった京都の新生児死亡率を中位くらいにまでは引きずりあげた。

というのが、当院NICUの現在のドミナントストーリー。

決してその業績を否定するつもりではないが、しかしこの物語は北海道で言えば明治以降に内地から移住した人々の物語だ。別の物語、アイヌの忘却された伝統にあたる物語もある。いまのNICUが立ち上がる以前にも、ちがった形での新生児医療が行われていた。当時を知るはずの老先生は笑って黙したまま多くを語らない。残っているのは古い人工呼吸器と医療辞書だけ。

その時代のことが語られないのは、前部長の奮闘に水をささないためか、たんに時間がたったためなのか。しかし語られなくなったものは忘却される。故意なのか否かは問わず。存在したものが無くなったのではなく、もともと無かったものとして歴史が語り直される。京都初のNICUというのが今のNICUスタッフを支えるドミナントストーリーである。そのストーリーを忘れては、なんで京都の隅っこにある小規模病院が分際にあわないNICUを動かしているのかが分からなくなるんじゃないかと思う。分からなくなったら、たぶん病院の経営陣には、NICUを動かし続ける動機がなくなるだろうと思う。そしたら私は失業だ。それは寂しいことだ。

ホウ酸の毒性は怖がったままにしておいてください

永久保存版! 家庭で手軽にできるパーフェクトなゴキブリ対策はこれだ!

ホウ酸団子をばら撒いておくとそのうちいなくなってくれます。毒性が怖かったけれど、哺乳類には危険が少ないんですね。

でも人間にはやばいよ、と、小児科医としては一応言っておく。
さすがに最近はホウ酸団子を間違えて食べてしまった赤ちゃんを拝見することは少なくなったけれども。