駆け出しの頃は「ぼたいはんそう」は漢字で「母胎搬送」と書くものだとばかり思っていた。確かに搬送で紹介されて来られる患者さんはお母さんお一人なのだが、実質的には、患者さんはお母さんと胎児の両者である。母と胎児の搬送だから母胎搬送。
新生児科医である私は、本音のところで、お母さんは「殻」であり実は胎児なのだとさえ思っているかも知れない。
しかし公用語は「母体搬送」である。
何年使ってもこの語はしっくり来ない。「ぼたいはんそう」を語るときに脳裏に「母体搬送」の漢字が浮かぶと、何だか、魂の入っていないお母さんの身体だけが送られているような、非人間的な舌触りを感じる。P・K・ディックの小説みたいだ。
もとより、「母胎」という語を辞書で引くと、
ぼたい【母胎】《国》
〈名〉(1)[妊娠(にんしん)している]母親の胎内(たいない)。 (2)あるものごとを生み出すもとになったものごと。「西洋文化の―」
ということではあるのだ。母と胎児を並べて書く語ではない。しかしそれは、母と胎児を二人(あるいはそれ以上)の独立した個人の一組として考える概念がこれまで無かったからではないかと思う。たとえば親子とか兄弟などという語のように、母と胎児をまとめて「母胎」と呼ぶという概念があってもよいはずだ。いやしくも母と赤ちゃんのケアを専門と名乗る我々の領域では既に人口に膾炙された概念となっているはずなのだ。
今のところ、母胎搬送と書くと、漢字を知らない無教養者か、かな漢字変換結果をしっかり確認しない粗忽者か、という扱いを受けるように思う。被害妄想だろうか。
そう言うところからも改善の余地があると言うことか。